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歓喜の輪

26日、ヤクルトがセントラルリーグを制しました。

やはり優勝の瞬間は格別で、今、僕の目の前の画面では、ナインだけでなくマウンドに集まった全ての大人たちが感情を爆発させています。シーズンにわたってのしかかる重圧と、それを跳ね返すための入念な準備と、敗北と、勝利と、衝突と、情熱と。野球人にとって、これ以上痛快な瞬間はないことでしょう。憎きコロナウイルスによって未だ声援の戻らない横浜スタジアムも、昨日ばかりはスタンドを埋め尽くす「東京音頭」に満ちていたような気がします。

振り返れば、同い年(!)の奥川選手やメジャー帰りの青木選手、若き主砲・村上選手の活躍もさることながら、全く個性の異なるプロフェッショナルたちを見事にまとめ、戦術に落とし込み、爆発的なエネルギーへと変えた高津監督の手腕は見事でした。虎視眈々と不沈戦艦・阪神の隙を狙い、落とせないゲームを確実に獲り、若手ベテランともに勝利に向かって執念を見せる。2021年のヤクルトはそんなチームでした。

今日はそんなプロ野球の世界から学ぶ!予定です。
最後までお付き合いくださいね。

"Queens - Flushing: Shea Stadium - 1986 World Series Game 6 Banner" by wallyg is licensed under CC BY-NC-ND 2.0


渾身の一発ッ!圧倒的失敗ッ...!

早稲フィルの団員は、実に多忙です。学校が終わってから地下鉄に飛び乗り、ダッシュで会場に向かい、音出しもそこそこにチューニングが始まります。中学や高校の部活動とは異なり、練習時間や場所にも色々な制約があります。もちろん自宅で思う存分個人練習ができる人はほぼ皆無。週3回の練習にはそれぞれのコンディションで臨むことになります。

いざTuttiが始まってみれば、弦楽器は指も千切れそうなほど忙しく、また対照的に、私たちトロンボーンやチューバは、楽章丸ごと(!)お休みの指示があることも。

しかし、出番となれば音楽は一発勝負。しかも場の支配力がある楽器ゆえに、失敗は覆い隠せません。ただでさえ貴重な練習の、貴重な出番のなかで、全体に影響するようなミスを犯した絶望感は、甚く不快なものです。そこにはコンディション云々の事情は一切加味されず、「成功か、大失敗か」という冷酷な二者択一が待ち受けているのです。

傷ついた音楽、冷ややかな目、冷や汗...ざわ...ざわ......

サヨナラ勝ちはやっぱり嬉しい

一方、プロ野球は年間143試合。プロ野球選手たちは、練習もそこそこに、途方もない数の試合をこなさなくてはなりません。ホームランを打っても、三振しても、エラーをしても、怪我をしても、容赦なく明日はやって来ます。歓声もあれば、ヤジも飛ぶ。過酷な仕事です。

でも、サヨナラ勝ちの瞬間はとても爽快感があるものです。

ベンチから選手が飛びだし、決勝点のランナーと抱き合い、殊勲打のヒーローには水をかけて大はしゃぎ。大の大人が子供のように一夜の激闘を労い、まるで優勝を決めたかのようにファンと「万歳!」の声を一つにします。

今シーズン最速のサヨナラ勝ちは3月26日の読売-横浜DeNA1回戦、亀井善行選手の代打サヨナラホームランでした(筆者調べ)。ペナント序盤も序盤の3月。ベイスターズとはこれからもシーズンで何度となく対戦するでしょうし、残りの142試合には引き分けを争う試合も、痺れる投手戦も、ワンサイドゲームもあるはずです。それでも、ジャイアンツは喜びました。顔をくしゃくしゃにして笑いました。

常に’’しぶとく’’ありたい

話を僕たちに戻しましょう。

前述しましたが、トロンボーン・チューバという楽器は場の支配力に富んだ楽器です。我々管楽器は弦楽器に繊細な表現と連符を一任した一方、たった一音でステージの空気を変える力を持っています。神の意志、人々の絶叫、恩寵、雷鳴、悲愴、絶望、希望。シンプルにして大胆な犯行。

我々はオーケストラを揺さぶり、打撃し、一変させ、その強烈な光線で音楽を照らし出します。そんな我々のミスは、時として取り返しのつかない傷にもなり得るのです。しかし、音楽は止まらない。帰ってこない。先ほどのカイジのように冷たい視線のなかで自分を見つめ直すのも重要な経験ですが、失敗からすぐに立ち直る鈍感さ、言い換えれば常に前を向く’’しぶとさ’’のようなものも、必要なスキルであるべきです。音楽は続くのだから。

ならば!

思い返せば、人生ではじめて楽器に触れた瞬間、マウスピースが震えた瞬間は自分や周囲の「喜び」とともに迎えられていたはずです。この反応は大学から30分、自宅まで2時間かけて通う合奏でだって自然なはずです。

もちろん失敗はいけません。恥ずかしい。できることなら成功だけを積み重ねたい。それは欲張りでもなんでもなく、奏者として、人間として、誰しもが願うものであり、目指されるべき理想でもあるはずです。

ならば!

傷ついてしまった音楽を悔いるよりも、未来で僕らを待つ、挽回の機会を掴みたい。昨日の失敗を乗り越えたなら、明日の自分はもう転ばない。この冬、ご指導いただいている川瀬賢太郎先生が仰るように、「今日一瞬だけ出た良い音に大喜びしながら」練習場を後にしたい。まるでヤクルトの胴上げように、サヨナラホームランにひっくり返ったジャイアンツのように、はしゃぎたい。ただ喜びたい。祝いたい。

見せびらかす必要も、落ち込んでいる人の前で無節操に喜ぶ必要もないけれど、誰もいない志村三丁目のエレベーターでガッツポーズをとるくらいは...いいでしょ?

そして、本当の友達なら喜びを分けてあげたい。共に喜んであげたい。フィルのみんなの、小さな小さな「サヨナラ勝ち」を祝いたい。そうしてできた歓喜の輪を、オーケストラ全体に広げたい。

子供っぽくて結構。大人げなくて結構。
この喜びを、明日も誰かと。

(く)

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