美意識のことを読んで、美の基準を考えた
ふと、自分にとっての美の基準って何だろう・・と考えてしまった。美醜なんて物騒な熟語もあるけれど、美とは好みなのか趣味なのか、それとも善なのか、憧れなのか・・とにかく、これが美だ!と言い切れる言葉を持っていないことに気がついた。
たまごまるさんの投稿、その深遠なる感性に触れると、自分がいかに表面的な考えでしかなかったかを実感する。この投稿も、そんな深いところへ連れて行ってくれた。
こんなふうに紹介しておいて、自分のことを書かずに、ちょっと仕事っぽいことを書きたいと思う。
神奈川県にある真鶴町のことを紹介したい。相模湾に面する、小さな町だ。
まちづくりや景観とかって言葉に敏感な方はご存知かも知れないが、この真鶴町は「美の町」と呼ばれている。
それはなぜかというと、まちづくりの取り決めとして「美の条例」(正式には、真鶴町まちづくり条例)を定めたのだ。美の条例には、美の基準が定められていて、それを行政だけでなく住民たちで運用している。
なぜこんな条例をつくったのかというと、開発に対抗するための町の必死の抵抗だったのだ。こんなに短い言葉で表してしまったが、そこには筆舌に尽くし難い苦労があったはずだ。
開発されることで、これまで育んできた様々な環境がなくなってしまうこと、暮らしが変わってしまうこと、町が美しくなくなってしまうこと、それを仕方のないことだと片付けなかった執念が見える。
そもそも美とは何か、その美を共有するためのプロセスや、美を守るためにどうすればいいのか、決めるべきこと、分からないことは無数にあっただろう。
90年代当時、前例のない条例作りに小さな町が奮闘したことは、その後の各都市の「景観条例」などに生かされている。
なかでも、上に引いた第10条などは、法令とは思えない洗練された言葉が並んでいるように感じる。その甲斐あって、町はいまでもひなびた漁村として、のんびりとした時間が過ぎているらしい。
その辺の話を、大学の講義で聞いたのだ。1年かけて、まちづくりのことを勉強したはずなのだけれど、詳しいことが全く思い出せず、色々と調べてみたり、久しぶりに条文に当たったりした。
真鶴町、ぜひ行ってみたいと思うのだが、なかなか実現しない。
美しさは、誰が決めるのか・・それはきっと自分自身であろう。だからこそ、自分で選ばなければならないし、少しずつでも基準(あるいはこだわり)が形成されていくのかも知れない。
綺麗なものだけを選び取ることは、きっと難しいし、楽な方に流されてしまうことも、脱線してしまうこともあるかも知れない。ただ、たまごまるさんのように言葉にしていれば、すぐに戻って来られそうだ。
たまごまるさんの投稿を読んで、真っ先に自分の職場のデスクを思った。もっと綺麗にしたい。
次に、自宅のリビングを思った。もっと綺麗にしたい。
懐かしい講義の記憶と、綺麗って大事だと改めて気がついた。
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