小さな手から
東北が大きな地震に見舞われたのは、僕が公務員に転職して一年目のことでした。
公務員とは“かくあるべし”というか、他人の命を意識するような、多くの人の気持ちを受け止めるような仕事をすることになりました。
それは募金に代表されるような、被災地への支援を形にするような仕事でした。それは僕には、偶然のように感じられました。配属先として希望していたわけではなくて、転職してはじめての職場でした。
特に、東日本大震災は甚大な被害であったこともあり、連日のように被災地からの映像がテレビで流されていました。
特に、避難所からの中継は微に入り細に入り、被災者を救うためのインタビューがなされ、「○○が足りない」と言えば、何かしたいけれど、どうしたらいいか分からない人が、「これだ!」と反応するようなことが多くありました。
僕のいた職場にも、連日何件もの電話がかかってきました。
地震から数日のうちは物資を集める体制も、それを送る体制も、送り先すら決まっていなかったので、その全ての申し出を断らざるを得ない状況でした。
多くの場合、了解していただけたのですが、ときどき、こんなことを言われていました。
そんな日々の中で、募金を直接手渡しに来る方々には、驚かされることも多くありました。
筋肉隆々のラガーマンたちが、500円玉を大量に持ち込んで、数え直すと申告額の半額で(何故か10枚で10,000円の計算だった)、なんでか凄まれたりしました。
会社の社長というおじさんが、窓口にドンと札束をいくつも置いて行ったりしました。
地元の有力者の家に呼ばれ、手が震えるくらいの金額を受け取りに伺ったことも。
募金額は1日で数千万円という日もあり、半年足らずで数億円を集めたのです。
募金の受付が始まって、数日経ったある日、窓口にやってきた方から声をかけられました。
カウンター越しに、お母さんと5歳くらいの男の子が見えました。
窓口での募金のやりとりは簡単でした。お金を預かり、金額を確認し、希望があれば領収書を作る。さらに必要なら税控除の説明をして、感謝を伝えて、お帰りいただく。
僕は、電卓、領収書を持ってカウンターへ。お母さんは、ちょっと苦笑いをしているような表情で、少し気まずそうに続けました。
お母さんの言葉が、はじめは飲み込めませんでした。お母さんの貯金箱のことを言っていたのかと思ったのです。しかし、違いました。
お母さんは、男の子の背中を軽く押すような仕草をして、男の子は意を決したように、握っていた手を僕に掲げてくれました。手のひらで受け取ったのは、100円玉でした。
いつから握りしめていたのか、温かくなっていました。
男の子は、とても強い眼差しでした。その気持ちを受け取った、そのしるしとして領収書を書きたいと伝え、書いて渡しました。
失礼だと思いながらも、終始、僕はうつむいていました。
そうしなければ、涙がこぼれ、誰かに見られてしまうと思ったから。
男の子の気持ちも、そしてそれを実現しようとしたお母さんも、わざわざ来てくれて、とても嬉しかったのです。たぶん僕しか覚えていないでしょう。
温かい100円玉は、あっという間に、そのほかの募金と一緒になり、機械に吸い込まれていきました。
転職して、最初の一年が終わろうかという3月のあの日。
僕は心から、そう感じたのです。
★ ★ ★
この記事は、マサおじさん@台湾ハッピーらいふさんの企画 #感動した体験談 に乗っかって書きました。冒頭で紹介するとハードルが上がってしまうので、終わりにネタバレ。
マサさん、素敵企画をありがとうございました!
企画の記事はこちら。ちらっと賞金も出るそうですよ。締め切りは明後日!
タイトルのイラストは、みんフォトから、我が子が選んだもの。我が子はいま、当時募金してくれた子と同じ年齢です。
読んでいただいて、ありがとうございました。
#自分にとって大切なこと #感動した体験談 #募金 #100円玉 #希望 #仕事 #原体験 #気持ち #今年のいっぽん #天職だと感じた瞬間