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読むと書くとは、大違い
僕のnoteにおける、陰の主席読者であり辛口コメンテーター、さらに編集者でありアイデア提供者と呼ぶに相応しい人物が、妻です。
その妻が「自分でnoteを書こうとしたけれど・・難しい」と言うのです。
なんでも、お題がたくさんあってよく分からない、お題にそった話は浮かぶけれど、書いてどうする、みたいな感覚になる、と言うのです。
分かる分かる、それ僕も何度も思ってるし、もう書くだけ書いて投稿したらいいんだよ。書いてよかった、かどうか分かるには時間がかかる時もあるけど、たいてい自分自身でハードル上げてるから。
妻は、自分と同じような人の参考になれば・・とも考えていることもあって、モヤモヤとしているのです。
読んでもらうというか、こっちが話したいことを書くイメージがいいかも。書いてみて、足りなければ足して、余計だったら消して。
最近、インタビューして記事を書くようなことをしていたので、書く事が決まっているのはできるけど、自分のこととなると何を書いていいのか分からなくなる、とも言っていて。
書きたい気持ちと、書いていい基準は、結構差があるから、とりあえず書けばいいのでは。
書いている人と読んでいる人が近いnoteなら、書き始めの葛藤は誰しも経験することかも知れません。書く、と言ってもその目的はさまざまです。
・・自己紹介がてら書いてみる、頭の整理のために文字に起こしてみる、雑談をする雰囲気でとりあえず書いてみる、誰かに向けて手紙のように書く・・
僕は、最初の頃「読んでもらいたい」という気持ちは抑えて書くようにしていました。読んでほしいと思うと、こんなん誰が読むの?という気持ちも強く出てきてしまうからです。
偉そうなことは言えませんが、書いてあるものを読むのは、すでにある1をインプットすることですが、書くは0から1へのアウトプット・・ちょっとエネルギーのかかり方は変わります。
ただ、言葉を残す意味では書いておくことは大切なことですし、少しずつ変化していく思いや気持ちを克明に思い出すことはできなくても、元々こんなこと考えていたんだ、という気づきのきっかけにはなるはずです。
話すことは同時性が求められますが、書くことはむしろ非同時性に有利です。
妻には「ぜひ書いてみて」と、これからも勧めてみます。
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