塾の先生
ひとつまえに書いた文章の最後に、受験の日に塾の先生と握手をして緊張感をもってしまった私を見て父親がここは落ちたなと感じたエピソードを書いたんだけど、
よくよく読み返せば
塾の先生が与えた緊張感のせいで私はその日受けた学校に落ちたって思えなくもないなと
塾の先生に対してなんて失礼なことを書いたのかと思ったので
最初にあらかじめ声を大にして伝えようと思います。
その日受験した学校に落ちたのは私の実力がなかったからです。
塾の先生の握手のせいではありません。
(当たり前だよ!)
むしろその塾の先生には、2月の寒くて朝早いなか、自分の塾の生徒を学校の門の前で探しだしては声をかけるという、自分の生徒を探し出せる確率どのくらいなの?すごすぎない?って感じのことをしてくださっていたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
(先生、ありがとう!)
さて。
前置きが長くなりましたが、今日は塾の先生について書きたいと思います。
私は当時の塾の先生方には感謝の気持ちでいっぱいです。
本当に。
色んな先生方に教えてもらったけど、自分の中に濃い記憶として残っている先生が何名かいます。
いるんです。
その中で当時の自分にとって結構大きな出来事となった先生のエピソードを書きたいと思います。
私は幸運なことに小学校の頃、中学受験の塾に通わせてもらっておりました。
色んな先生に色んな科目を教えてもらいました。
今もまだあるその塾に通っているであろう小学生の子達を見ると、私もあんな時があったなと当時の記憶が「呼んだ?」とひょっこり顔を出してきます。
(決して私から呼んではいないぞ。)
ひょっこり顔を出してきた記憶の中に毎回必ずぐいぐいと前にでてくる、とある先生の記憶があります。
パンダ先生です。
パンダ先生は私が生まれて初めて行った塾で一番最初の算数のクラスの先生でした。
私はこのパンダ先生の算数のクラス初日に感じた気持ちを今でも覚えています。
生まれて初めての塾で受けたパンダ先生の授業内容は帯分数でした。
当時の私は全然勉強なんてしておらず、帯分数も確か学校の授業でやってたかやってなかったか微妙な感じのときで、その塾の授業で初めて帯分数の計算を習いました。
その日のパンダ先生の授業は、帯分数の計算の説明の後に問題をといて答え合わせをするというスタイルでした。
もちろん、私は提示された問題は全然全く本当に解けませんでした。
先生の話してる内容の意味も理解できてなかったと思います。(先生、ごめん)
それなのに私はパンダ先生が答え合わせをしてこの問題解けた人ー?とクラスの生徒に挙手をするよう促した際に、手を挙げたんです。
挙げちゃったんです。
だって私以外のクラスのメンバー全員が解けたって元気よく手を挙げていたから。
私だけその問題を解けていないなんて恥ずかしいと思って、手を挙げちゃったんです。
わからないものはわからないって言っていい。
こんな単純なことが当時の私はわかっていなかったんです。
みんなと違うなんて恥ずかしいことくらいに感じていたように思います。
でも、こんな風に色々ぐちゃぐちゃとしていた私の気持ちはパンダ先生に丸っとお見通しだったんですね。
お見通しだぞーと言うかのように、別の問題をといているときにそっと私のところに来て私のテキストを覗き込んで、そっと言いました。
さっきの問題、とけてねえじゃん。
そう言う時は手をあげなくても大丈夫だよ。
解けてないことが、全てバレておりました。
当時の私にとっては超絶ショックな出来事でした。
挙動不審だったのかなあと今になっては思います。
その言葉を言われたあと、パンダ先生が直々に問題を教えてくれたのか、教えてくれなかったのかはちょっと記憶にないんですけども。(ないんかい)
ただ、解けていない問題に対して解けたと嘘をついて手を挙げた時の気持ちと、パンダ先生にこの言葉を言われた瞬間のことは今でも鮮明に覚えております。
この後のことでぼんやりと覚えているのはその日の塾から帰ってから家で必死に帯分数の計算を勉強した…ように思います。
めっちゃ曖昧ですけど、まぁ、おかげさまで今ではしっかりと帯分数の計算はできますし、なんなら、因数分解とかもできるようになっています。
もし、パンダ先生にまた会えるなら、帯分数の計算ちゃんとできるようになりました!ってめっちゃ手を挙げて伝えたいです。
受験日当日に激励をしてくれた先生や、パンダ先生、またその他の先生たちから私は色んな知識を塾で学びました。
今の自分が持っている知識は当時の塾の先生方が一生懸命夜遅くまで教えてくれたおかげだと思っています。
先生たち、ありがとう。
私は元気でやっています。
おわり!
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