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絵を描ける人へのあこがれ




こんにちは。百千鳥です。




今回は一度諦めたイラストレーターという夢を、回り回ってつかんだ話をします。

これまで、絵やイラストと関わってきてわかってきたことを綴ります。




もくじ
1.絵を描けることへの憧れ
2.追い求めたもの
3.活かしたとき
4.ツールとしての絵
5.目指すは人を幸せにする贈り物としての絵






1.絵を描けることへの憧れ




自ら描き始めたのは10才の頃だった。



それまでも、絵はなんとなく居心地が良かった。



色で遊んだり、なぜこんな形何だろうと、不思議でじっと見る子どもだった。





それまでいろんな絵に触れることがあった。



けれど、どれも漠然とすごくてわからなくて、扱いきれなかった。




そんな時、高橋留美子先生の犬夜叉という漫画に出会った。




衝撃的だった。ファンタジーだ。現実とはかけ離れた話。なのにそれをここまで身近に感じさせる、入り込むことができるというのが。



今思えば、キャラクター自身、他のキャラとの関係性、持っている物語、生まれる物語、行くことはできないその異世界と動きをのぞき込みたいと思わせる魅力があったのだと思う。



それまでにも物語は読んでいた。



小学生用の短編小説だ。現実のような、非現実のような境界のないあいまいさに迷い込むのはとても不思議な感覚で魅了されていた



こんな不思議な世界をどうやってつくるんだろう、なぜできるんだろうと漠然と、感覚で不思議に思っていた。



それまでにも漫画には触れたことがあった。



読んでいて分かりやすいな、絵だからいろいろ風景が見えておもしろいな、その中に入ったように読めるなとは思っていた。




小学4年生の時。



友人が持っていた犬夜叉を皮切りに、興味を深く持った。



溜めたおこづかいで漫画を少しずつ買うようになった。



扉絵という1話始めの大きな絵が描かれているページを蛍光灯で透かし、油性ボールペンで描き写す。



美しい一つ一つの線が髪、顔、服、空気を作っていることに気づく。いくらでも不思議と魅力が詰まっていた。探求しがいがあって、完全に虜になった。



漠然とした、絵を描けるようになりたいな、が漫画によって知りたい、学びたい、自分もやってみたいになった。




そこから、自発的に絵の自由研究が始まる。







2.追い求めたもの




絵といっても、絵画、イラスト、漫画など種類がある。



それぞれ役目が違い、完成をどこにするかも違う。





絵が描ける、というのはどういうことか。



わたしは見て感じた事を表現することだと思っている。



実際にみて、五感で感じ取って理解したことを、目の前の紙に写す。






その魅力を理解したほど、私の絵は人から好まれた。



見えたものを出しただけで、すごいとか言われる。



そうかな…ありがとう、ととりあえずお礼を口にしながら不思議だった。




今思えば、目で見たものだけでなく、頭で見えたものも出していた。



五感といろんな可能性を踏まえた頭が見せた風景も込めていた。



技術的なところもあるだろうが、そういったなんとなくの部分もだいぶあったのだと思う。







正直、絵は観るのも描くのも好きなのだが、



自分の望むように出せなくて、思うように道具を、色を使えないときは癇癪を起しやすかった。



だからこそ、取り入れられそうな技術は吸収し、使って自分になじませることを繰り返した。



これは高校生まで続いた。それまで気が済むことがあまりなく、半分やけで楽しめていたかと言われると少し微妙だ。



ただ見るものが楽しかった。



自分も描いているからわかる。いろんな人のすごい技術や魅力的な線やを見て、吸収できるだけ吸収した。そうやって少しずつできることは増え、精度があがっていった。



思ったときに、思った通りに出して検討して創り上げるのが理想だった。



自由に操って、面白いことがしたかった。



それに向けて日々繰り返していた。



今は癇癪はそんなに起こらない。








3.活かしたとき




高校生の時、絵にも限界を感じた。



絵はスキルであって、何を伝えたいかがないと描こうにもかけないからだ。



私には、これが描きたいがなかった。



ただ絵が好きで、探求していて、必要なだけ鍛えて、どうしようと思った。


自分はよく扱ってきたが、周りはさほど必要がなさそうだと分かったのもある。




当時イラストレーターになることを夢見てどういったことをするのかを調べたりしていたが具体的に、何をどうしたらいいのかがさっぱりで

イラストレーターになるだけのために美大に行くのも違う気がした。

わたしは別に、絵を描くことがひたすら楽しいタイプではないからだ。


絵をいくらでも描けるという人が美大にいくイメージがあった。



私は課題で出されて、上手い下手と整合性で成績をつけられるのが嫌だった。



むしろちょっと、間がほしい。


あまり絵と距離が近いとだめな気がすると漠然と思い、勉強は理数系の方が得意だったため理系でモノづくりができる、建築に進むことにした。



所詮、趣味でしかないのかもしれない…、と気づく。何をしてきたんだろうと思ったが、他に比較的できることがなかった。



建築に進み、さあ1から学ぶぞ、と意気込んだ私は絵が描ける子、として認識されていた。

正直不本意であった。

絵は封印するくらいの意気込みだったのに、入って早々の課題で考えたことを表現する術を絵以外持ち合わせていなく、器用に模型を作ることもできなかったものだから、絵か粘土で造形したら粘土の子とかいわれるようになってなんかもうとても不本意だった。



けれど、絵が持つ伝える力を実感した。



それまで、絵は探求するためのものだった。



大学に入り、自分の考えを深めたり表現するために絵を使うようになり、自分で言葉にできないことも絵にしたら伝わりやすいと分かる。



ただ、当時は自分が何を考え、何を伝えたいのかのコントロールができず、描いたものが勝手に物語って私の頭がついていかなかったり、絵に頼りたくないなどの謎の抵抗をしていた。(笑)



それでも人の手伝いや見せ方のアドバイスを通して、絵ができることを客観的に、実績をもって理解していく。



こうしたい、こう表現したい、けど何したらいいか、どうまとめたらいいかわからない。



伝えたいことあるけれどこれでいいのかわからない。



そういった人たちの願いを叶えるのが、得意だった。



話を聞いて、物事を整頓して、できることとできないこと、必要事項の確認をし、ある穴を適切に埋めるように、あなたの場合はこの紙面でこの情報を発信することですねと提案し、印象が沿うように打ち合わせして描いた。



(今、文字にしたら結構大層なことをしている…。)



当時は自分にできることをやっただけで、絵が描けて楽しい~だった。すごい、すごいと感謝され、あれ?普通はできないの?と少しずつ知り、自分案外できるじゃん…?と気づいていった。(遅い)







4.ツールとしての絵




現代、絵はあふれかえっているように見える。



近代までは、特別な場所や権威のある場所に贅沢にあしらわれるもの、もしくは広告くらいだった。



それが描ける人がだいぶ増え、描きやすい環境になったことで飽和状態にも見える。





アマチュア、プロ…



プロより上手いアマチュアもいる。



人の数だけ、いろんな絵のあり方もある。





自分は、絵をどうしたいのだろう。



なんども自問自答を繰り返した。







絵は好きだ。描いていたい。



けれど、自分の描くという行為をどう扱ったらいいのか、どう発信したらいいのか長年分からなかった。



ひたすら沢山、描きたいわけじゃない。



有名になりたいというわけでもない。



絵で人の役に立ちたい。





大学生の時のように、表現しきれない人の話を聞きだして、上手い事伝える手伝いをしたい。そんなふうに人の役に立ちたい





この願望を叶えるのは仕事としてなのかもしれない。けど、どう始めたらいいのだろう……。



通った学校も全く違う、しっかり学んでいない、美大じゃない、完全に独学だ。



これでいいんだろうか、お金をもらう、仕事として頼まれてもいいのだろうか。



まず何からしたらいいんだろうか…。



そんな感じで確信が持てず、方法もわからず、長い間くすぶっていた。






ここ数年、体調を崩した。



人間の時間は限られている。



“自分にできることをし、したいことを深めていこう。”



そう決心する機会があった。




そこからとりあえずやってみようと動き出した。参考になる言葉や動画、考え方を吸収し、助言や機会をもらい、晴れてイラストレーターとしてお店を開くことができるようになった。








5.目指すは人を幸せにする贈り物としての絵




私の時間は限られている。




体調がよかったり、悪かったり予想がつかないので2週間から1カ月はかかる。



A4までの大きさの依頼だと、月に1つ、よくて2つが限度だ。






けれどできる時には深く探り、深く考え、適切に表現できるようにすり合わせをしていいものを作っていく。


誠実性は大切にしている。その一時、親身になり共に創り上げていく感じだ。





私は、見えたものや感じたものがあって、描ける。


私の画力や配慮を存分に引き出すだけの情報があるというのも大事だ。




単純なイラストの制作値段であれば、A4サイズで3~5万、そこから紙媒体やWEB上に載せるなど、使用する場所や数で課金される。



私の絵は正直、相場よりも高くなる。



情報を引き出し、最適解にする手伝いをする、見せ方までのプレゼンをするからだ。そこまで関わる。




絵がほしいだけなら今の時代たくさんある。



探せば無料のものも、理想を形にしたいならイラストレーターだってたくさん居る。



私より元気で、体力もある人はたくさんいる。




だけど、私にしか出せないものが在る。




私だから見えているものや配慮できることがある。




“願いや祈りをカタチに”



特別な人にプレゼントするように、絵を描いていきたい。





***



いかがでしたか?

今回は、“絵を描ける人へのあこがれ”というテーマでかきました。




そしてついに、イラストレーターとしてお仕事が頂けました!


初仕事は友人のお菓子店のドリンク広告…!


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おいしそう、飲みたくなるなど大変好評みたいです(*^-^*)


彼女のつくったおいしいドリンクを伝えられて安堵しました(*'▽'*)




これからも励んでまいります♪






~告知~

イラストレーター
朝虹小夜


今回担当したお店
ふくふく焼菓子店

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