泣きたい夜の甘味処
ほんの少し日常に『好き』を混ぜてみよう
昨日まで20時間くらい寝ないと身体が動かなかったしお風呂も4日間入れなかったのに
今日は目を瞑っても意識は遠のかないし気持ち悪い、なにもできない
いわゆる躁鬱だな〜を実感して苦しい
なにも食べられないし、食べても戻すを繰り返していたのでおいしい小説を読もうと思った
その第一歩です、これは。
癒されているという感覚は確かにあるのにこんなに泣いたのは初めてかもしれない
なぜかわからないけれどボロボロ泣いた
わたしが躁で感情が昂っているだけかもしれない
こんな甘味処近くにあればいいのに
私もボロボロなはずなのに、幸せだった過去と泣きたい今を一生懸命生きてるんだな
病気の本人とそれを支える家族はこんなことを考えているんだな、と病気のわたしは思った
感情に蓋をして
辛い、苦しい、悲しい、疲れた、、、、、
でもわたしは頑張らないといけなくて
でもわたしは冷たいから大丈夫、自分にも冷たくなれるから感情に蓋ができる
涙と一緒に一度本当の気持ちを出してしまうとよわいわたしを受け止めて意外に前を向けるものなのかも
人との別れ、今生の別じゃなくても
またね、くらいの別れでも
そのタイミングがくるまでの時間を大切にしてあげたい、わたしの意思で
過去の温かい思い出も込めて
自分がいっぱいいっぱいの時でも、どんな時でも優しさを忘れないで
ただ悲しいだけでなくて、誰かが誰かを想ってる
食べ物は不思議な力を持っているらしい
心が苦しい時や沈んでいる時、気が張っている時に温かい、ホッとできる食べ物を口にすると、張り詰めていた心が緩み、自然と涙が止まらなくなる、そんなことがあるらしい
そんな経験、わたしもしてみたい
この世界は人も動物も、それぞれ生きているから、わたしは自分ひとりの気持ちや行動しかコントロールできないし、それだけでよい
ほかのみんなは勝手にそれぞれ生きている。
動かさなくていい、動かせないし
みんなそれぞれ一生懸命生きていて、大変なことも悲しいこともみんなそれぞれに持っている
楽しいことも幸せなことも
子供の頃の自分
今の自分
年老いた自分
子供の気持ち
相手の気持ち
親の気持ち
おばあちゃんの気持ち
疲れた自分
病気の自分
今を精一杯生きないとなって気持ちと、どうしようもなく消えたい気持ち
泣きたくても泣けないような本当に辛いときに、こんな甘味処があったらどれだけ救われるだろう
こんな甘味処はないけれど辛い時に甘いもの一緒に食べてくれる人は、わたしにいる
いつもありがとね〜〜と改めて思う
「どんな形であれ納得いくものであればパーフェクト」なパフェの話
私だけの”Parfait”
「『完璧』ってなんでしょうね、自分が納得できたらそれでOKなんじゃないですか?」
「どんな選択をしても『それでいいんだよ』と自分を肯定してあげられたら…」
「誰かの決めたパーフェクトと、自分のパーフェクトは一緒じゃなくていいのかもしれないー」
「まずは自分を大切にして、それから時間をかけてまた開花させていく」大福の話
全部おもしろいけどこの2つは特に好き
劇的に何かが解決するわけじゃないけど、心が救われる優しい世界
気が滅入ることも多い世の中で、常に他人に優しくあることは大変だと思う
けれど、そんな優しさの起点に自分もなれていたらいいなと思ったし、なりたいと思った
ありがとう