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芝居小屋と人 『木挽町のあだ討ち』
自分で自分の書いたものを改めて引用するなんて全然よくない。
でもふとそうしたくなったのは、
読み終えたとある1冊が、ほんとうによかったからだ。
読みながら何度もぐっときて、じぃんとして、
読み終えて、そうしたくなったからだ。
直木賞受賞作だし、人気作だし、
尊敬する劇作家たちも薦めていたから気になってはいた。
にもかかわらず、手に取るのが遅くなったのはすごくしょうもない理由だ。
「もう時代小説はええかなあ」
うんと若い頃一時期、ずっと時代小説を読んでいた。
心はずっと江戸時代に居た。
って意味不明だが、そんな自分の自分への思い込みから、読むのが遅くなって本当に(よくない意味での)しょうもない、しょうもなすぎる。
(っていうか傲慢すぎる。そんなめちゃ読んでへんし人情の機微などわかってもわかりきってもおらんやろうにね)
古書店で手にして、最近、洋とか論文系とかの本が続いていたからかな、ふ、と、読み始めたら、一章目からもう引き込まれ、数日かかって、いや、かけて、ゆっくりと大事に読んだ。
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例によってあらすじやネタバレは(公式がする以上のことは)したくないししない。
ましてやこれは時代小説でありミステリー。何も言いたくない。
と、考えたとき、おこがまし、ましましましすぎるけれど「読んだ本を自分の中(肚? 体?)に入れる・入れたい・入れる」みたいな人間は「そう」したくなった。
芝居小屋や、歌舞伎や、をテーマにした小説は少なくない。
近年ではなんとまあ旅芝居をもテーマにした小説も、ある。
この流れは、何、なんだろう。
やっぱり、松井今朝子(勿論わたしも大好き)とかからなんだろうか。
いや、もっと前からか。
でも幾つか読むも、特に、「ぎゅっと鷲摑みにされる」ものは、あまり、ない。
でも、この作品、「ぎゅっと」なった。
重厚感とかそういうのではないけれど、ないのに、
でも、じぃんとした。ぐっときた。
なんでやろう。
と、考えたとき、
大袈裟でもオーバーでもなく、
いろんなことやものがオーバーラップした、ような、気がした、したからかなと感じた。
オーバーラップ? とはやはり大袈裟だろうか。
でも、ほんとうに多くの、
きれいなこと楽しいこと見たいことだけじゃないこと、
客席の中も、舞台の上も、劇場の中に溢れるそれらやそんな気持ち、
見たり、聞いたり、感じたり、自身でも体感体験してきたり、してきたそれが、重なったり、だぶったり、したように感じた気がしたからだと思った。
勿論、江戸じゃないし、時代は違うのだけれど、違えども、だ。
ああ、よくない、よくはない、かもしれない。
でも、己が書いたそれを、引用させて下さい。
先日、芝居小屋に寄せる気持ちを書いた記事の、最後のところです。
思わず、アタマじゃなく、すっと出たそれ。
〝どんな人も、
人それぞれに持つ孤独やさみしさやしんどさを抱えて生きている。
そんな人々が、
芝居小屋の、劇場の、舞台に立って、
芝居小屋に、劇場に、来て、通いもして、
我々客席の者は、
芝居の中の人や舞台に立つ人に自由に感情移入をしたり自由に
物語を楽しんだり、
アタマではなにも考えずに楽しい時間をすごしたり、
恋したり、ときめいたり、
それぞれの観方で舞台を楽しむ〟
もうちょっと、続けてもいい?
〝舞台の上には見た目も技量も年齢もキャリアも皆違う様々な役者(演者)が居て、
そのそれぞれの芸や技量や顔や見た目や人間性(?)をそれぞれに
「いいな」「好き」「大好き」というお客さんや応援さんが居る。
互いに心の支えとなり互いの日々と人生を生きるということだって、ある。
時に勘違いや誤解やすれ違いもしながら、
距離の近い、ほんまは遠いかもなのに近い(と勘違いな)距離の舞台で、
人間が生きている生きてゆく世界で。
それぞれに払った木戸銭分と公演時間内の舞台を演じる、観て楽しむ。
そうして舞台と客席は気持ちを交わし合い生かし合う。
わたしは、それが劇場だと思うし、思っている〟
〝そして芝居小屋とは劇場とは世界の社会の縮図だ。
旅芝居は常に今現在現代をうつす鏡で、
常に時代と人を写し掬い上げ共に生きる人間舞台だと思っている。
最後にもう一度言う。
これらはあくまでわたしの考えであり気持ちだ。
正しいかどうかもわからない。だから考える。
本当にいろんなことを祈っている。
違う。祈ったって現実は変わらないことをわたしはいやあなたもきっと痛いほど知っている。
だから考え続けたい。感じたい。人間をね〟
じぃんとした時代小説で、ミステリーだった。ぎゅっと、なった。
芝居小屋は、劇場は、
生きる場所で、皆の居場所。本当に、そう思う。
*
この小説、
書かれる際に『野田版 研辰の討たれ』が頭の中にあったりされたんじゃないかなー、なんて読みながら思いもしていて、
読後にインタビューなどを読んでいたら「ビンゴ」だったの、ちょっと嬉しかった。
すごいネタバレ(おい愚か者!)しているが
12年前(!)の己のBlog。(も、あさってきた)
再演などがあるかは知らないが、映像などで観られる場合は読まずにスルーして下さいね。
*
引用の己の元記事。
何十回どころではなく言葉や言い回しや文を書き直したり消したり書き加えたりした。
旅芝居や芝居小屋に関することだけじゃなく、いろんな、もっと、おおきなものやことを考えていて。
だから、こんな一方的な長文を目にしていただいて、
気持ちを掬って下さる方に広めもしていただいて、
あたたかなコメントもいただいたり、本当にうれしかった。
めちゃくちゃ悩んだけど、悩んだから、本当に光栄でした。
*
読後「お」っと思ったインタビューも幾つか貼る。
◆◆
【略歴や自己紹介など】
構成作家/ライター/エッセイスト、
Momoこと中村桃子(桃花舞台)と申します。
旅芝居(大衆演劇)や、
今はストリップ🦋♥とストリップ劇場に魅了される物書きです。
普段はラジオ番組構成や資料やCM書き、
各種文章やキャッチコピーなど、やっています。
劇場が好き。人間に興味が尽きません。
舞台鑑賞(歌舞伎、ミュージカル、新感線、小劇場、演芸、プロレス)と、
学生時代の劇団活動(作・演出/制作/役者)、
本を読むことと書くことで生きてきました。
某劇団の音楽監督、
亡き関西の喜劇作家、
大阪を愛するエッセイストに師事し、
大阪の制作会社兼広告代理店勤務を経て、フリー。
lifeworkたる原稿企画(書籍化)2本を進め中。
その顔見世と筋トレを兼ねての1日1色々note「桃花舞台」を更新中。
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Webマガジン「Stay Salty」Vol.33巻頭に自己紹介エッセイを寄稿しました。
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旅と思索社様のWebマガジン「tabistory」では2種類の連載をしています。
酒場話「心はだか、ぴったんこ」(現在19話)と
大事な場所の話「Home」(現在、番外編を入れて4話)。
noteは「ほぼ1日1エッセイ」、6つのマガジンにわけてまとめています。
旅芝居・大衆演劇関係では各種ライティング業をずっとやってきました。
文、キャッチコピー、映像などの企画・構成、各種文、台本、
役者絡みの代筆から、DVDパッケージのキャッチコピーや文。
担当していたDVD付マガジン『演劇の友』は休刊ですが、
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こちらのバックナンバーも、さきほどの「出発点」さんに置いていますよ。
あなたとご縁がありますように。今後ともどうぞよろしくお願いします。
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