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血と熱と力 座長 雷照威吹姫
そないにずっと力入れて。
きゅっとぎゅっと眉毛を八の字にして。
糸で引っ張る人形劇の人形みたいに八の字にして、カッ! カーッ!
ばちばち目線をひとりひとりくれて。
スマホを掲げる客が居たら必ず目線、
スマホを掲げないお客さんにもひとりひとりに目線、目線。
舞台が終わると「お見送りさせていただきます」からの 舞台に一礼、
飛んでゆくように劇場の外に出て、ひとりひとり、ぎゅっとぎゅっと握手。
染みついた香水の匂いは帰宅しても残っていて、
わたしはちょっと、ほろりとも、した。
大衆演劇・旅芝居の舞踊ショーにおける
〝直接的色気表現〟に眉を顰める人が居る。
手招き、ばちばち目線、ウインク、ごろり、
抱きしめるような仕草、舌だし、肩だし、などなど、などなど。
品がないとか、文化としての旅芝居の格を下げるとかいう認識なんかな。
「そういうのが好きな方は居るけれどわたしは違います」
「私は芝居を愛する人です。そういうのは求めていません」
それ、傲慢かもしれないよ。
つまり、そう言ったり思ったりするということは、
いいも悪いもそれだけ意識もしているということで、
意識せざるをえないほどのインパクトや力があるということだ。
わたしが旅芝居を観始めた頃、
「それ系舞踊」のカリスマのような役者が、2人ほど居た。
他にも居る。でも、なんか、この2人が、すごかったというか、
同業者や若い世代が一斉に取り入れたり真似をしたり、
若くない世代も「あれはすごい」とか
「恥ずかしいけどやってみた」なんていうこともあった。
強烈さとインパクトに「!!!」となったのは
客席の我々だけじゃなかったのだ。
プチ〇〇やプチ●●がいっぱい居た。からの、今に至り、もはや、〝型〟だ。
そのひとりは、少し前に書いたこのひとで、
もうひとりは、先日観た彼の、父である。
わたしはこのひとがめちゃくちゃ嫌いだった。
今ネット上で流行りの件やら言葉で言うと「キモい」とずっと思っていた。
煽情的で、リアル。
勿論古典や渋い舞踊もやる。たぶんお好き?だ。でも、これ系。
わたしのまわりのひとびとは、異様に、皆、皆、ハマっていた。
それも、寒いというか、キモかった。
でも、本当に、すごかった。
ちょっと動くだけで、きゃー。
上目遣いで簪を加えると、ギャー。
親衛隊というか信者たちによるコール(ホストクラブのコール)みたいのも、かかる。
歓声や嬌声が響くときもあれば、皆が見惚れ静まり返るときもあって、
会場は、マジ、一体となる。
それはリアルにリアルな性的な場、関係、その空気。
一体大勢だが、一対一のそれだ。
忘れもしない、平井堅の『哀歌』とか。
ちょうどリリースされたあのあたりの頃。
(そして今もこの曲は旅芝居舞踊の「テッパン曲(スタンダード)」)
キモい。でも、凄い。ほんとうに、凄い。
認めざるを得ない引力。つまり実力だ。芸の力だ。
もう一度言う。芸の、力だ。
そんなカリスマは、
だから、つまり、理より感覚が勝つタイプの人というか、
と、言っていたのは某大御所役者なのだが、
別の例えをすると、作家山田詠美が言うところの「動物くん」的な感じで、
例えば家族のひとりとしてみると、血のつながった者からすると、どうだったんだろう。
家族でも身内でもなく信者でもファンでもないわたしは、
息子、何人も居るうちの、「そっくりな芸」の息子に、注目をしていた。
子どもなのに(当時)、そっくりすぎるほど、そっくりだったから、せざるをえなかった。
気持ち悪いほど完コピというかそっくりの仕草、目、煽情的な。
それだけ完コピできる力と、頑張りと、
でも、完コピするからこそのアンバランスさ、
年齢不相応のイキり、色っぽポーズ、煽り、
そこに群がりきゃーきゃー言う客席。
観るたびになんとも言えないような気分になった。
けなげさや背伸びや必死さを感じ、その背景なども聞くにつけ、
ちょっとしんどくすらなって、でも、頭から離れなかった。
ひさびさに観た彼は、そんな「親父」そっくりのままの芸風で、
でも、大人だった。
あの劇団に居た頃と、名も変わり、旗揚げし、座長。
親父の劇団に居るんじゃない。座を立ち上げ、間もなく2年。
夜露死苦みたいな芸名には、慣れないし、戸惑いもする。
でも、妙に、似合いもする。
声、仕草の角度、ポーズ、眉毛、一礼、迫り方、
ああ、「親父と一緒だ」あの頃の。こわいほどに。
でも、息子だけど、座長だ、ひとりの座長だ。
カッ! カーッ!と目を見開いて、眉を八の字にして、目線を配りまくって。
決して、おおきくはないその身体で、おおきく、全力だ。
ばちばちに、ひとりひとりに目線をおくる。全力目線だ。全力色気だ。
その力みは力みだけれど日々日々ずっとそうしてきて、
彼の型、彼の仕事、彼の「型」となったのだと思った。
必死という言葉が浮かんだ。
必死なんて、プロに、仕事する人に対しての言葉としては失礼だ。
でも、使いたい。決して悪い意味じゃなく、賛辞として。
力んで力んで力んで、力みすら型になったそれは彼のカラーであり気持ちだ。
と、同時にそれは古くから、
特に彼を含む九州の旅芝居の役者たちを中心に褒め言葉として使われ、
旅芝居の芸や役者を象徴する言葉として使われるようになった「熱と力」そのものだ。
好き勝手思ったり言ったりする客の中、日々日々、あなたに! あなたに!
全力目線。全力色気。なぜなら、守るものがある。守るひとたちが、いる。
俺! 俺の劇団! 俺の座員! 日々は! 続く! 続いてく!
聞き慣れた旅芝居舞踊スタンダードな歌謡曲や演歌、今の歌謡曲で踊り、
ぐぐっと目線を配り、必死必死な姿に、
好きや嫌いを超え伝わるものを感じたり、
勧進帳、『安宅の松風』に、あの頃のお父さんと同じ、
ほんと同じ仕草を見て、いろんな気持ちにさせられたりした。
思った。
皆、皆だ。皆、必死だ。生きてるんだ。
それぞれの、やり方で。
やり方を模索し、時にやりたいこともやりたくないことも、
それすら考える暇もなくやってって日々はやってくるけれど、
そうして、それぞれの、血と、熱と、力で、やっていく、毎日を、舞台を。
目線ばちばちのバラード舞踊もよかったが、
『龍神』でカッ! カーッ! とやっている姿が、まだ頭を巡る。
鳥羽一郎歌う、旅芝居スタンダードすぎるナンバー、
これも、海歌、海の男の歌、神に喧嘩売る労働歌だ。
客席の背もたれに上ってまでポーズを決めて、目線を配ってくれた。
首にかけたおおきな数珠を最後、握り締め、掲げていた。
その姿は、やっぱり今も慣れない言い慣れない夜露死苦みたいな芸名に、とてもとても合っていたような気もした。
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(劇団雷照 座長 雷照威吹姫 10月 尼崎・千成座)
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過去記事。12年前
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構成作家/ライター/エッセイスト、
momoこと中村桃子(桃花舞台)と申します。
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