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#エッセイ

プラスチックカップのロケット 飄々と宙へ

腸までとどくヨーグルトと書かれたプラスチックのカップが鉢植代わりにされ土から芽が勢いよく伸びていた。 歩いていて突然目に入った全然きれいじゃなくも勢いのよいそれはなんの植物かもわからない。 へんてこな場所で芽を出す植物や野菜なんかを指してド根性なんて言うのが一時期流行ったけれどド根性ってなんか嫌やな。 誰が植えたのかは知らないでも誰がが食べた後の空カップに植えたこいつはきっと宙までとどくんじゃないかな飄々と。  * なんてことを考えたのはやっぱり昨夜観たドラマがああよかった

地べたと宙 『宙わたる教室』がとてもいい

NHKドラマ『宙わたる教室』がいいなあと思っている。   主演が窪田正孝だからという不純な理由で観始めた。 「あきらかに今を意識してドラマ化したな」 「ベタやなあ」 と、初回を見始めながら思ってはいた。 でも観終えたときはちょっと違う気持ちになっていた。   学校をテーマにした話ということで、 なにかと照らし合わせたり伝えたり、 そのようなセリフを「押しつけがましい」と感じる人は居るかもしれない。 でも、そのバランスが、演技とも相まって、押しつけがましくない。 空気が、皆の演

平等とは笑いとは 人間とは 『新宿野戦病院』に思う

平等ってなんだろう。 平等は難しい。正しさも難しい。 もしかしたら笑いと同じくらいに。   笑いは難しい。 例えば誰かを笑う笑いのすべてが悪いことはない。 身体的特徴やそのひとが触れられたくないようなことをいじることは、 ほぼほぼほとんどの場合「ぜったいよくない」。 でもすべてが「悪」では必ずしもない。 関係性や場所によってはそれらは他者が決めつける「絶対悪」ではない場合もある。 そこだけのそこだけを「切り取り」でみて否定や排除することは危険だ。   人間は、難しい。   宮

ライト 淋しいのはお前だけじゃない

人はなんで舞台に立つんやろう。 人はなんで劇場に行くんやろう。   ドラマ『淋しいのはお前だけじゃない』を このところ仕事の合間に観ている。 このドラマのことはシナリオ集を読んだ時に こう書いたもといがっつりたっぷり語ったのだが、 いざちゃんと観ると観てみると込み上げてくるものがあってならない。 毎話、グッときてげらげら笑いながらも、ダーッと。 あまり泣かない、人前ではほぼ泣かないくらいの人間が、めっちゃ。   それは、 そうなるのは、 やはり、旅芝居・大衆演劇の…… い

ロングロングアゴー 「今」の話

つい昔の話で盛り上がる。 先日若い頃の芝居仲間から連絡が来た。 自分が芝居を始めるきっかけとなったメンバーの出演する小劇場演劇というかコントイベントに行ってきたという報告だったのだが、 そこからわたしが今年再演? 再再演? された松尾スズキの『ふくすけ』(観たかった!)の話題を振ったら鴻上尚史の『朝日のような夕日をつれて』も「2024」として今やってますよねしかも主演は……! それな! 今をときめく大河俳優ですよ! いや、ほんまに! という話、からの、当時の感想メモとか引っ張

分け入つても分け入つても 山頭火とか五郎兵衛とか

町田康が書いた『入門 山頭火』を読み終わった愛酒の日に。 ヤバいやつがヤバいやつを書いためっちゃヤバい。 静かにもどぉしようもなさが頭をぐるぐると回って一気にはいけない。 何ヶ月か前に買い読むもしばらく放っておいてまた手に取ったりまた放ったりしていたら今日になった偶然。 知ってはいたが山頭火はどぉしようもない。 どれだけ美化しようともほんとうにどぉしようもないと思わされた。 そのどぉしようもなさが人を惹きつけるんやろなとも思ってきたし思わされた。   同じく町田康が書いた『告

きちんと、丁寧に しっかり

きちんと、丁寧。 大平一枝さんが聞き、書かれる人の話、いや人と話、 そして捉え方書き方にいつもじんわりじっくりと“人間”を感じさせられる。 「市井の生活者を描くルポルタージュ、失くしたくないもの・コト・価値観をテーマにしたエッセイを執筆」 改めて読んだプロフィールにもじんわりひたひたと込み上げてくるものがある。 人間は、苦しい。でも愛しい。愛しいのだ。 そう思いたいし思うのだ。思いにくいことばかりだからこそ。 きちんと、丁寧な筆に思わされる。 きちんと、丁寧な筆がおだやかに

清濁併呑とか正しさとかその中でも「ぜったい」なこととか

清濁併呑という言葉を自分で使うことがあまり好きではない。 なんだかそれは言えない言い切れないことや言い切ってはいけないかもしれないことを自分の中で言いきれたような感がするというか、そんな気になりもするから。 でも、答えを一方的に「こう!」と決めつけ押し付けられることは、も、本当に好きではない。違和感を覚える。時にこわさも思う。 ほなどうやねんどないやねん。 だからやはり「一緒に考えていきましょう」なんじゃないかと常々思っている逃げや日和見ではなく。 これもなんかずるい

ご飯を食べる その2

また振り返りになってしまうのだけれど、貼っておきたくなった。 またまたドラマ『生きるとか死ぬとか父親とか』を思い出して、 仕事のBGMがわりに観たりもしているからかもしれない。 ジェーン・スーの言うことや書くことは時に「んー?」にはなったりもする。 (でも結構読んでる) ヒグチアイの歌はいいなと思いながらも時にクドいというかあざといなぁにもなる。 (でもこの曲はすげえと思うジワッとくる) オジサン役者好きなくせに國村準はなぜかあんまりそんなに刺さらず「んー?」が多い。 (で

gem

『転がる石』という演歌がある。 旅芝居の舞踊ではテッパン曲、 つまりどこの劇団でも常に誰かが踊っているくらいの曲だ。 旅芝居特有の(股旅や任侠芝居のismから通ずる)ニヒリズムと自己陶酔、キメやアピールがしやすいええ感じのリズム、客席から掛け声をかけてもらえやすいええ感じの箇所、色々、「あー」なポイントだらけ。 せやから踊っていて気持ちよくなるんちゃうか。 観ていてもぽぉっとキャーとなれる曲なんちゃうか。 ぽぉっとはなれへん私は劇場でいつもへぇーっと観てきた。 私的初早乙女太

共に飛ぶ オスプレイとハヤブサと皆、皆と

ハヤブサ! ハヤブサや! ハヤブサやん! あほや。やっぱりこいつあほや。 ハヤブサ。 それは言わずとしれたFMWにいたレジェンドマスクマン。 空中技の不死鳥。 「お楽しみはこれからだ」 空中で事故を起こして頚椎損傷からの全身不随、リハビリ、からの、 2016年に亡くなった。 今でも語り継がれ、ファンも多い。 わたしの知人も彼に憧れてプロレスを始めた。 同じく、空中を飛ぶマスクマンだ。 彼をきっかけにハヤブサという名と存在を知った。 数日前、SNSである動画が流れてきて。

白とか黒とか『アンチヒーロー』とかバニラアイスとか

正しいとかなんだかんだとか生きることとか考えるようになったのは、 己の身内事(過去から今も)からなんだろうなと思うが、 嫌でも、吐くほどわかりだしたのは、 やはり、旅芝居・大衆演劇、 「生きることそのものの舞台であり芸能」を観て、観出して、観続けて、である(!) そんなこんなでこのnoteにも、 何度か、特に意識したりしなかったりしながらせずに書いてきたりもした。 「勧善懲悪なんて、無い」「いや、ある」「絶対に、ある」 「けど、だから。だから、けど」 と、いう人間にとって、今

花と花瓶 ある2人の歌手の顔

「人生はその日その日の積み重ね」 近所のお年寄りが口にしたのを聞いて肚の中でツッコんで笑った。 「何? みつを的な?」 でもその夜寝る前になって「うーむ」「ほんまやなあ」なんて。 ということを、思い出したのは、テレビに出ていた2人のおじさん歌手を見てのことかもしれない。   森進一。 「こわ!」 なんなんや、あの顔。今の顔。 人の容姿をどうこういうことはいいことではない。とはわかっている上で。 わたしはこのひとの歌とこのひとにずっと興味がある。 五木ひろしより森進一派。歌に物

雨の中 『羅城門に啼く』と『侠』

豪雨の中、野暮用で1時間歩かないといけなかった昨日昼前。 川沿いの国道沿いを歩いていたら 車やトラックがびゃーっと走ってその度にザバーッ。 無になった。 泣けてくるし怒りが湧いてくるし でも歩かざるを得ない辿り着けないことには。 ずんずん歩きながらザバーッをまた、またまた、浴びながらも、思った。 たぶん車に乗っている人は攻撃とか加害しようとは思ってもいない。 悪気はない。 あちらもただ仕事や目的のために走らせているだけでしかない。 雨の中の運転だ。あちらも危険だろう。 でも速