マガジンのカバー画像

読んだり観たり聴いたり

114
本とかドラマとか歌の感想など
運営しているクリエイター

記事一覧

青天のヒーローたち

汗臭い泥臭い人間臭すぎるヒーローたちと詰めかけた大勢の観客が笑っていた。   近所じゃないけれど遠くもない寺で 時折大阪プロレスの興行が来ると知ったのは 古くから縁あるラジオ局の某番組での告知でだ。 プロレス(&演劇)ファンを公言するDJは 毎週末の関西近辺での興行を読み上げる。 メジャー団体は全国を廻っていたり どうしても関東中心になったりするから、 告知は自然とインディーの団体のものが多くなる。 聴きながら毎週「とほほ」と口に出すのはばかにしているからではない。 むしろ逆

あわあわと、ゆらゆらと 『一場の夢と消え』

近松のおもしろさを教えてくれたのは 上方文化評論家を名乗るけったいな紳士だった。 学生時代に出会った講師なのだが いつも口元にゆらり皮肉っぽい艶っぽい笑みを浮かべていた。 年齢も性別も超越したようなそのひとの持つ空気に 皆ちょっと引き気味というか距離をとるようにして接していた。 はっきり言って、我々にとっては、 気味がわるかったというか、得体の知れぬ空気をまとっていたのだ。   そいつが担当する上方学と題される講義はなぜか朝イチにあって 「朝からこんなに何の役にも立たない話を

プラスチックカップのロケット 飄々と宙へ

腸までとどくヨーグルトと書かれたプラスチックのカップが鉢植代わりにされ土から芽が勢いよく伸びていた。 歩いていて突然目に入った全然きれいじゃなくも勢いのよいそれはなんの植物かもわからない。 へんてこな場所で芽を出す植物や野菜なんかを指してド根性なんて言うのが一時期流行ったけれどド根性ってなんか嫌やな。 誰が植えたのかは知らないでも誰がが食べた後の空カップに植えたこいつはきっと宙までとどくんじゃないかな飄々と。  * なんてことを考えたのはやっぱり昨夜観たドラマがああよかった

地べたと宙 『宙わたる教室』がとてもいい

NHKドラマ『宙わたる教室』がいいなあと思っている。   主演が窪田正孝だからという不純な理由で観始めた。 「あきらかに今を意識してドラマ化したな」 「ベタやなあ」 と、初回を見始めながら思ってはいた。 でも観終えたときはちょっと違う気持ちになっていた。   学校をテーマにした話ということで、 なにかと照らし合わせたり伝えたり、 そのようなセリフを「押しつけがましい」と感じる人は居るかもしれない。 でも、そのバランスが、演技とも相まって、押しつけがましくない。 空気が、皆の演

平等とは笑いとは 人間とは 『新宿野戦病院』に思う

平等ってなんだろう。 平等は難しい。正しさも難しい。 もしかしたら笑いと同じくらいに。   笑いは難しい。 例えば誰かを笑う笑いのすべてが悪いことはない。 身体的特徴やそのひとが触れられたくないようなことをいじることは、 ほぼほぼほとんどの場合「ぜったいよくない」。 でもすべてが「悪」では必ずしもない。 関係性や場所によってはそれらは他者が決めつける「絶対悪」ではない場合もある。 そこだけのそこだけを「切り取り」でみて否定や排除することは危険だ。   人間は、難しい。   宮

ライト 淋しいのはお前だけじゃない

人はなんで舞台に立つんやろう。 人はなんで劇場に行くんやろう。   ドラマ『淋しいのはお前だけじゃない』を このところ仕事の合間に観ている。 このドラマのことはシナリオ集を読んだ時に こう書いたもといがっつりたっぷり語ったのだが、 いざちゃんと観ると観てみると込み上げてくるものがあってならない。 毎話、グッときてげらげら笑いながらも、ダーッと。 あまり泣かない、人前ではほぼ泣かないくらいの人間が、めっちゃ。   それは、 そうなるのは、 やはり、旅芝居・大衆演劇の…… い

バケツリレーと想像力 ある新聞記事から

「自分ごと」 「自分が弱いからこそ関心を持つこともあると思うんです」 「バケツリレーの一員になりたい気持ちが大事だと思う」 「お花畑だと言われても、「反対」と言うことが大事です」   毎日新聞夕刊「特集ワイド」、9月3日 & 4日、 「戦争反対をめぐる対話」を読んだ。 たまたまというか、ふと、手にしたので、読んだ。 昨年著作を読み、興味を持っている哲学者の永井玲衣さんと アジカン後藤正文さんの「思考と対話」。 読めてとてもよかったなと思ったので、貼っておきたい。   「遠

ON THE WAVE 『FATMEN OM THE WAVE』

ブレないことは、むずかしい。 いつも正しいことじゃないかもしれないし、 むしろ、正しいこと(だけ)じゃないかもしれない。 まわりからしたら、面倒臭かったり、 ややこしいこともたぶん少なくない。 その上で言うが、「ブレない人やものが好きやなあ」と思う。 思ってしまう? いや、思う。   人は皆変わる。変わってゆく。 ブレない人ブレられない人も含めて誰しもが。大なり小なりにも。 変わらなきゃもいけない(かもだ)し、 っていうかそもそも変わってもゆく。 でも変わっていっても変わらな

ロングロングアゴー 「今」の話

つい昔の話で盛り上がる。 先日若い頃の芝居仲間から連絡が来た。 自分が芝居を始めるきっかけとなったメンバーの出演する小劇場演劇というかコントイベントに行ってきたという報告だったのだが、 そこからわたしが今年再演? 再再演? された松尾スズキの『ふくすけ』(観たかった!)の話題を振ったら鴻上尚史の『朝日のような夕日をつれて』も「2024」として今やってますよねしかも主演は……! それな! 今をときめく大河俳優ですよ! いや、ほんまに! という話、からの、当時の感想メモとか引っ張

分け入つても分け入つても 山頭火とか五郎兵衛とか

町田康が書いた『入門 山頭火』を読み終わった愛酒の日に。 ヤバいやつがヤバいやつを書いためっちゃヤバい。 静かにもどぉしようもなさが頭をぐるぐると回って一気にはいけない。 何ヶ月か前に買い読むもしばらく放っておいてまた手に取ったりまた放ったりしていたら今日になった偶然。 知ってはいたが山頭火はどぉしようもない。 どれだけ美化しようともほんとうにどぉしようもないと思わされた。 そのどぉしようもなさが人を惹きつけるんやろなとも思ってきたし思わされた。   同じく町田康が書いた『告

きちんと、丁寧に しっかり

きちんと、丁寧。 大平一枝さんが聞き、書かれる人の話、いや人と話、 そして捉え方書き方にいつもじんわりじっくりと“人間”を感じさせられる。 「市井の生活者を描くルポルタージュ、失くしたくないもの・コト・価値観をテーマにしたエッセイを執筆」 改めて読んだプロフィールにもじんわりひたひたと込み上げてくるものがある。 人間は、苦しい。でも愛しい。愛しいのだ。 そう思いたいし思うのだ。思いにくいことばかりだからこそ。 きちんと、丁寧な筆に思わされる。 きちんと、丁寧な筆がおだやかに

清濁併呑とか正しさとかその中でも「ぜったい」なこととか

清濁併呑という言葉を自分で使うことがあまり好きではない。 なんだかそれは言えない言い切れないことや言い切ってはいけないかもしれないことを自分の中で言いきれたような感がするというか、そんな気になりもするから。 でも、答えを一方的に「こう!」と決めつけ押し付けられることは、も、本当に好きではない。違和感を覚える。時にこわさも思う。 ほなどうやねんどないやねん。 だからやはり「一緒に考えていきましょう」なんじゃないかと常々思っている逃げや日和見ではなく。 これもなんかずるい

ご飯を食べる その2

また振り返りになってしまうのだけれど、貼っておきたくなった。 またまたドラマ『生きるとか死ぬとか父親とか』を思い出して、 仕事のBGMがわりに観たりもしているからかもしれない。 ジェーン・スーの言うことや書くことは時に「んー?」にはなったりもする。 (でも結構読んでる) ヒグチアイの歌はいいなと思いながらも時にクドいというかあざといなぁにもなる。 (でもこの曲はすげえと思うジワッとくる) オジサン役者好きなくせに國村準はなぜかあんまりそんなに刺さらず「んー?」が多い。 (で

gem

『転がる石』という演歌がある。 旅芝居の舞踊ではテッパン曲、 つまりどこの劇団でも常に誰かが踊っているくらいの曲だ。 旅芝居特有の(股旅や任侠芝居のismから通ずる)ニヒリズムと自己陶酔、キメやアピールがしやすいええ感じのリズム、客席から掛け声をかけてもらえやすいええ感じの箇所、色々、「あー」なポイントだらけ。 せやから踊っていて気持ちよくなるんちゃうか。 観ていてもぽぉっとキャーとなれる曲なんちゃうか。 ぽぉっとはなれへん私は劇場でいつもへぇーっと観てきた。 私的初早乙女太