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ファニー・ナイトの小旅行。続編 / ワイト島、サウサンプトン【ジェイン・オースティンが好き】

ジェイン・オースティンのお気に入りの姪「ファニー・ナイト」は、兄エドワードの長女で、ジェーンとは旅を共にしたり、ケント州にあったナイト家の屋敷で過ごし親交を深めました。彼女の名前は、ジェインがカサンドラに送った手紙の中にもよく出てきます。ファニーの旅のポケットブックや日記からも、彼女が旅した様子やジェインとの関係性が見えてきます。

ファニー・ナイトの肖像画。カサンドラが描いた水彩画。©Jane Austen’s House

今回は、彼女がワイト島を旅した記録「ファニー・ナイトの小旅行/ワイト島」の続編。2日目シャンクリン、4日目サウサンプトン、ネットリー・アビーについて追加情報をお届けします!

まずは、こちらの記事をご覧ください。


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前回の旅行記の続き、追加情報⬇️
【ファニーの旅行記 2日目】1813年6月8日
ワイト島のライドから馬車で海岸線を南下して、シャンクリンまで来ました。シャンクリン・チャインの素晴らしいこと!

ワイト島南東部にある海岸線の村。ライドから電車で来れます。


ワイト島のシャンクリン村

ペンシルコテージ。左手にある遊歩道を歩いて行くとシャンクリン・チャインの入り口。2005年

ファニーが観光したのは、峡谷「シャンクリン・チャイン」でしたが、シャンクリンに来たら、他にも観光名所があります。

シャンクリン・オールド・ヴィレッジ

まず、シャンクリン・オールド・ヴィレッジと呼ばれる古い街並みが残っている通りがお勧め。ライドからシャンクリンまでは電車で行ける。駅の周りには、新しい建物が多く商店街となっていますが、その先には、藁ぶき屋根のコテージが並ぶ「オールド・ヴィレッジ」があります。


2005年に旅した時の記録。

今回の記事を書くにあたり、懐かしいものが出てきました。2005年にワイト島を旅した時に制作した新聞風の旅記録です。

Shanklin Vol.1
この時は、「ティールームを巡る旅」がテーマで色々な所に行きました!Shanklin Vol.2

村の雰囲気は、20年前とあまり変わっていないと思います。

ペンシルコテージでクリームティー

手作りのジャムが選べる。
スコーンが一つのクリームティーもある。

2022年に行った時には、シャンクリン・チャインを歩いてから、「ペンシル・コテージ」でクリームティーを食べました。小さな店内で、テーブル席はお庭にあります。スコーンにクリームと、何種類もある手作りのジャムから一つ選べる。旅にはスコーン。クリームティーって、どうしてこんなにわくわくするのでしょうか?


ザ・オールド・サッチ・ティーショップ

その隣は、「ザ・オールド・サッチ・ティーショップ」立派な藁ぶき屋根にピンクの壁が目印のティールームです。ここには、20年前にも来ましたが、ランチメニューも豊富で食事をするのにも向いています。今では珍しくなった、趣ある店内でのんびりできます。

2005年に行った時には、オールド・ヴィレッジの通りに少なくとも4つのティールームがありました。今はどうなのでしょう。駄菓子、お土産屋さんもあり、観光客に人気のスポットです。この通りの坂の一番下にある場所から左折すると、シャンクリン・チェインの入り口があります。


オールド・ヴィレッジから駅の方へ歩いていくと建物が近代化してくる。


シャンクリンの海岸線を歩く

シャンクリンの海岸線。2022年

海岸線へ行くと、また違う風景が広がります。シャンクリン・チャインの入り口、ビジターセンターは、こちら側にある。シャンクリンの海岸線近くには、切り立った峡谷があちこちにあるそうです。

海水浴できる砂浜の地域には、お店が並んでいる。

1900年代後半に、英国人国内の海辺の町へホリデー旅行をしていた時代のノスタルジックな雰囲気。アーケードと呼ばれるゲームセンターや小さな小物店が並んでいます。

ファニーもこんな風景を見たのでは。

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【ファニーの旅行記 3日目】1813年6月9日
ニューポートに移動して食事をしました。

この時にどこに行ったのかは不明ですが、食事をするならニューポートまで行った方が良いだろうと、街まで行ったのかもしれません。
ニューポートはワイト島の中心街で、現在も主要なお店はこの町に集まっています。

ニューポートのティールーム

ゴッド・プロビデンス・ハウス  2005年

ニューポートは、島の北部中心部にあり、一番栄えている町です。ここから少し北上すると、ヴィクトリア女王の邸宅「オズボーン・ハウス」があります。街中にこれと言って有名な観光名所はありませんが、私がニューポートに来たら立ち寄るのが、ここ。

Gods Providence House ゴッド・プロビデンス・ハウス

この建物は、1524年に建てられたグレード2指定の建造物。1699年に火災で焼失するまでは、パン屋として使われていました。再建されてからは、個人宅や金物店になり、1800年代後半からティールーム&レストランとして営業。広場に面している出窓の部分は18世紀のもの。正面のドアと玄関の敷石(しきいし)は16世紀に建てられたオリジナルのまま残されています。

入り口のドアの上、二階部分の壁にある丸い石碑には、

"WIE "God's Providence is my inheritance", 1701"
神の御心こそが私の財産である。

と刻まれている。

言い伝えによると、16世紀に黒死病が流行した時、ニューポートの街で唯一死者が出なかったのがこの建物でした。神の摂理のおかげで人々は助かったとされて、ゴッド・プロビデンス・ハウス /神の摂理の家(神の御心の家)と呼ばれるようになりました。


レトロな雰囲気の店内で

イギリスの名所がデザインしてあるテーブルコースターが素敵。

20年前の南イングランドには、ノスタルジックな雰囲気漂う、少し薄暗くて落ち着いた雰囲気のティールームがあちこちにありました。

ウェイトレスさんは、ヴィクトリア時代のメイドみたいな白いエプロンを着用。
ロックケーキ。ビスケットとスコーンの中間みたいなお菓子。ドレンチェリー入り。
フラップジャック、アーモンドスライスなど。

イギリスの典型的なティールームのメニューで、軽食、ケーキ、デザート、スコーンが楽しめる。私のレポートは2005年なので、今はまた違う店内かもしれません。2011年からは、クローリー家が経営するアットホームなティールーム&レストランになったようです。


参考資料


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【ファニーの旅行記 4日目】1813年6月10日
ワイト島のヤーマスから船に乗って、リミングトンまで移動。そこから馬車でニューフォレストを通り、サウサンプトンまで行き宿泊。その時に、ファニーは、ネットリー・アビーへも足を運んでいます。

【4日目】ヤーマスからリミングトン。ニューフォレストの抜けてサウサンプトンまで行き宿泊。サウサンプトンから少しだけ離れた所にネットリー・アビーがあります。現在のネトリー村は、近代化していて住宅地が近くにありますが、当時は自然にあふれた静かな場所だったでしょう。


ネットリー・アビーへ行く

こんな風景は見たことがない!本当に美しい修道院跡。

ジェイン・オースティンのファンにとって聖地巡りのひとつと言っていいのではないか・・・。と、私が思っている場所が、ネットリー・アビーです。サウサンプトンの中心部から少し離れたネットリー村に、13世紀に建てられた修道院。長い年月を経て遺跡化したものが、イングリッシュ・ヘリテージの管理運営によって無料で一般公開されています。

ここには、ファニーだけでなくジェインも来たことがあります。美しい修道院跡からインスピレーションを得て、「ノーサンガー・アビー」を執筆したのではないか?とも言われています。ノーサンガー・アビーが出版されたのは、ジェーンの死後1817年ですが、作品はかなり前に完成していて、1798年から99年頃に執筆されたと思われます。ジェーンは、この原稿を1802年に清書して、「スーザン」という名前で出版社に送り、出版社が買い取って出版されることになっていましたが、なぜかそのまま出版はされませんでした。結局、1816年にジェインはその原稿を買い戻し、1817年に兄のヘンリーが「ノーサンガー・アビー」として出版しました。


甥っ子たちと日帰りボートトリップ

ここで、ファニーの小旅行(1813年6月)から時間を遡り、1808年にジェインが姉カサンドラに送った手紙の中にある、サウサンプトンでの出来事をご紹介します。この頃のジェインは、バースからサウサンプトンに引っ越して、街中のキャッスル・スクエア2番地に住んでいました。

中世より貿易港として栄えたサウサンプトン。入り江が、船の停泊所に適していた。

We had a little water party yesterday; I and my two nephews [George and Edward Knight] went from the Itchen Ferry up to Northam, where we landed, looked into the 74, and walked home, and it was so much enjoyed that I had intended to take them to Netley to-day; the tide is just right for our going immediately after noonshine, but I am afraid there will be rain; if we cannot get so far, however, we may perhaps go round from the ferry to the quay."

Jane Austen to her sister Cassandra Monday, 24 October 1808 "

‘’昨日は、ちょっとした水上の楽しみがありました。甥の二人を連れてイッチン・フェリー*¹からノーサムまで行き、建造中の軍艦74号を見てから、歩いて帰りました。とても楽しかったので、今日はネットリーまで行こうと思います。昼食の直後に行けばちょうど潮の加減が良いのですが、雨が降るかもしれません。そこまで遠くまで行けなくてもフェリー*²で波止場まで行こうと思います。‘’

*¹イッチン・フェリー村には船乗り場があり、イッチン川を渡って対岸のサウサンプトンへ行ける場所として重宝された。造船所としての歴史も古く、小型船から軍艦まで作る造船所としての歴史があったが、大戦の際に爆撃にあいその面影は残っていない。
*²当時のフェリーは木製の小型船。

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この頃、ジェインは母と姉、友人のマーサ・ロイドと4人でサウサンプトンのキャッスル・スクエア2番地に暮らしていました。兄エドワードの妻エリザベスが出産を控えており、姉のカサンドラはナイト家の屋敷に滞在。しかし、エリザベスは11人目の出産からしばらくして35歳で亡なってしまいます。ナイト家、オースティン家は、大きな悲しみに包まれました。この出来事をきっかけに、エドワードは、母と姉妹に自身の領地であるチョートン村にある家に住まないか?という話を持ちかけ、翌年にジェイン達はチョートン村のコテージに引っ越すことになりました。

今回のボートトリップは、その頃のお話です。エリザベスが亡くなって間もなく、兄エドワードの息子達、長男のエドワード(14歳)と次男のジョージ(11月で13歳)がサウサンプトンのジェインの家まで訪ねてきました。傷心の甥達を励ますために、ボートトリップに出かけたのかもしれません。

サウサンプトンとネットリーの間にある海岸から。サウサンプトン港はすぐ先。

まずは、入り江の近くにあるイッチン・フェリーからイッチン川の対岸に渡り、ノーサムまで行きました。それからキャッスル・スクエア2番地にある家まで歩いて(30分ぐらいで2キロの道のりを)帰りました。
とても楽しかったので、明日はフェリーでネトリーまで行こうと思う。と、カサンドラへの手紙に書いています。フェリーの停泊所で古くより造船所でもあったイッチン・フェリーは、景観の美しい小さな村だったようですが、残念ながら大戦の爆撃によりその面影は残っていません。

なぜ、フェリーに乗って移動?

【1日目】イッチン・フェリーの船乗り場から川を渡って対岸のノーサムまで行き、歩いて家まで帰った。【二日目】サウサンプトンからネットリー村まで行く。

サウサンプトンからネットリーへ行くには、入り江になっている海岸線を移動します。馬車で行くと遠回りになるので、水上の風景を楽しみながらフェリーで移動したのでしょう。

(ちなみに、現在はイッチン川に橋が架かっているので、サウサンプトンの街中から対岸へは、ノーサムからイッチンまで車で7分程度で行けます。)

ここからは、先日、私自身がネットリー・アビーに行ってきたレポートです!

ネットリーへ行く 2024年

ネットリーの海岸線沿いにある公園。

かつてはクリケット場だった芝生の公園から、サウサンプトン・ウォーターと呼ばれる入り江が美しい。近くにある小さな駐車場に車を停めてネットリー・アビへ歩いて行きました。(ネットリー・アビーの敷地内にもイングリッシュ・ヘリテージの駐車場あります。)


満ち潮の時に、この辺りまでフェリーで着たのでしょうか。右手には、港に停泊する大型船がみえます。

ネットリーの海岸線の右手には、大型船が出入りするサウサンプトンの港が見えます。船の移動なら、ここからサウサンプトンまでそんなに時間はかからないでしょう。もしかすると、ネトリーの海岸にもジェインが訪れた当時はフェリーが停泊できる場所があったのかもしれません。ネットリー・アビーは、この海岸線沿いから坂を歩いて5分ぐらいの場所にあります。

参照:

P242 新井潤美「ジェイン・オースティンの手紙」岩波文庫


美しい修道院跡、ネットリー・アビー

海に近い丘の上にある修道院跡。空気が澄んでいます。

ここには、18世紀の画家や小説家が訪れるほどロマンチックな修道院跡として、ジョージ王朝時代にはすでに人気がありました。13世紀に作られた巨大な寺院と修道院の面影は今でも残っています。特に周りに何もない土地に、どうしてこれほどの寺院を建設したのか?不思議になります。しかし、当時の修道士たちには、外界から邪魔されない静かな場所で、早朝2時から数時間ごとに祈りを捧げ、修道院での生活を営むのが理想とされたので、ネットリーはそれにぴったりの場所でした。近くには小規模ながらも中世より南イングランドの重要な貿易港であったサウサンプトンがありました。

写真ではお伝えしにくいですが、大聖堂ぐらいの巨大な建物です。

ネットリー・アビーは、想像していた以上に素晴らしかったです!
ジェーンがこの風景を見て、物語へのインスピレーションを得たのも納得。かなりの大きさがある寺院で、ウィンチェスター大聖堂やソーズベリー大聖堂のような立派な建物だったことが、遺跡からもわかります。

アボットの住居。天井のデザインは素晴らしい。

修道士が住んでいた建物や回廊の跡もあります。少し離れた場所にあるアボット(修道院長)の館に入ってみると、それはそれは美しい天井。細部の装飾にまで手が込んでいます。川の水流を利用して、水洗トイレも完備。

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ファニー・ナイトの日記から

【4日目】ワイト島のヤーマスから船でリミングトン。馬車でニューフォレストを抜けてサウサンプトンまで行き、宿泊した。

【ファニーの旅日記 4日目】1813年6月11日
サウサンプトンで宿泊。私はネットリー・アビーへ行った。

と、だけネットリーについては完結に書き記されていますが、彼女はそれよりも5~6年前(1807年)に、両親(母エリザベスはその翌年に亡くなってしまう)、叔父のヘンリー、ジェインとネットリー・アビーを訪れています。この時は、サウサンプトンからフェリーでネットリー・アビーへ行きました。

【ファニーの日記 1807年9月16日】

‘Wednesday 16th September. We all except Grandmama took a boat & went to Netley Abby [sic] the ruins of which look beautiful. We eat there of some biscuits we had taken, & returned quite delighted. Aunt Jane & I walked in the High Street till late.’

Fanny later wrote a letter, in which she added:

‘Papa, Mama, Aunts C. & J. Uncle H[enry] Wm. & myself went across to the other side of the Southampton water, to view the beautiful ruins of Netley Abbey, & never was there anything in the known world to be compared to that compound of every thing that is striking, ancient, & Majestic; we were struck dumb with admiration, & I wish I could write anything that would come near to the sublimity of it, but that is utterly impossible as nothing I could say would give you a distant idea of its extreme beauty, & therefore I can only hope, that some lucky star, may conduct you there, some time or other, in the mean time you must be contented with hearing that it stands on an eminence, in the most Romantic situation you could imagine, over grown with Ivy, & concealed from your view, by a high Wood, down to the waters edge, till you ascend a slight eminence, when it breaks upon you on the opposite bank, most lovelily. There are parts remaining entire, but very little, the rest form a beautiful ruin, from which we have a view of Southampton to the greatest advantage. We were all of course enchanted, & after staying there long as we possibly could, we descended to Netley Fort which stands [down] at the Waters edge & is likewise a bea[utiful] but smaller Ruin & was it is supposed [inten]ded as a guard to the Monastery [We then] returned to Southampton, highly delighted…’

Jane Austen and Leisure by David Selwyn:

‘’9月16日火曜日。おばあ様以外のみんなで、ボートに乗ってネットリー・アビーへ行った。遺跡が本当に美しい!持って行ったビスケットをそこで食べた。ボートで帰ってくる時の景色も素晴らしかった。私と叔母(ジェイン)は、街のハイストリートを遅くなるまで歩いた。′‘

この後にも、ネットリー・アビーの素晴らしさを綴るファニーの文章が続いています。彼女の日記には、美しい土地を旅して感動する気持ちが生き生きと表されている。当時は、アビーの建物にアイビーが生い茂っていたり、今とはまた違う様子が垣間見れますが、現在のネットリーアビーの風景も1807年に彼らが目にしたものと、それほど変わらないでしょう。今回、実際に足を運んでみてその美しさに感動しました。ジェインが訪れていたのだと思いながら歩いていると、さらに感慨深かったです。

エドワード朝(1900年初頭)のネットリー・アビー。ポストカード。当時も人気の観光名所。
100年前は、建物にアイビーなど緑が生い茂っていた。


ジェーンゆかりの地、サウサンプトン

上品で美しい海岸線の街だったサウサンプトン。ジェーンの住んでいた家はちょうどこの絵の真ん中あたりに位置していた。

ジェインは、1806年にバースからサウサンプトンに引っ越してくる前に、何度かこの地を訪れています。

サウサンプトンに初めて訪れたのは、7歳の時(1783年)で、姉と共に学校へ通うためでした。次の滞在は、18歳(1793年)の誕生日で、兄のフランクとドルフィンホテルの舞踏会でダンスを踊りました。街には、従兄弟(サウサンプトンの市長を2回務めた)が住んでいました。若かりしジェインが、それらの滞在の間にネットリー・アビーを訪れていたとしても不思議ではありません。街中へ引っ越してからは、家族を連れてフェリーで何度か訪れていることからも、彼女にとって特に好きな場所だったと言えるでしょう。

子供の頃にも来たことがあるサウサンプトンは、ジェインにとって馴染みのある場所でした。母と姉、マーサ・ロイドと1808~1809年に住んでいたのは、かつてサウサンプトン城があった敷地内の建物(現在は消失)で、キャッスル・スクエア2番地を借りていました。家の窓からは、サウサンプトン・ウォーター、その奥にはニューフォレストの森が見える、見晴らしの良い場所でした。ハンプシャー州の自然あふれるスティーブントン村で育ったジェーンにとって、都会のバースでの生活は馴染みにくいものでした。当時のバースにはたくさんの人が住んでいるのに、下水施設はなく、夏になると今のように清潔で美しい場所ではなかったでしょう。

その後、引っ越したサウサンプトンは、空気の良い海辺の街。家には庭があり植物を育てられました。社交界もあり、歩いて行ける場所で舞踏会が開かれていて、船で少し遠出すれば、美しいネットリー・アビーまで行けました。サウサンプトンでの生活の間に執筆活動はしていませんが、ジェインがここでの生活をバースにいた頃よりも楽しんでいたのは想像できます。

【まとめ】
ファニー・ナイトが旅して記録した文章をもとに、私が訪れたワイト島の観光名所も紹介しました。シャンクリンの、ティールームをめぐる旅。美しい浜辺の景色。ニューポートの歴史ある建物のティールームも素敵です。

後半の舞台は、サウサンプトン。
姪のファニーがネットリー・アビーへ行った記録をたどりながら、その魅力をお伝えしました。今回、手紙を読み解きながら旅の記録を作ってみると、ファニーが、ネットリー・アビーへ母と叔母と共に訪れたときに、感激していた様子が伝わってきます。それから数年後、母を亡くしてから訪れたときには、何を感じていたのでしょうか。彼女にとって、ネットリー・アビーは、特別な思い出の場所だったのかもしれません。

ジェイン・オースティンを好きになってから、今まで知らなかった英国のさらなる魅力を感じられるようになりました。ゆかりの地をめぐるのは、本当に楽しい。

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第一弾はこちら。

#ジェーン・オースティン

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