全ての依存症をコンプリートした母親_4


私の叔父は、祖母の連れ子だった為
祖父とは血は繋がっていません。
なので母と叔父も種違いの兄妹です。

母から聞いた話ですが、
祖父は昔から酒癖が悪く、仕事から帰ってきたら酒を飲んでよく暴れていたそうです。

私の記憶では、もう歳だったのもあり
暴れる事はありませんでしたが、
毎晩酒を飲んでは何かしら嫌味や文句を垂れてたのは覚えています。

そんな祖父の事が母は大嫌いでした。
祖父と母は、会話する度に何かしら喧嘩をしていましたが、その間に入ってくれていたのが祖母でした。

間に入ってくれていた祖母が亡くなった為
母と祖父の間に入る人は誰もいなくなりました。

祖父は、母や祖母には何かしら文句を言っていましたが、叔父とは血が繋がっていないからか、何か言ったりする事は決してありませんでした。
そして叔父も面倒事は嫌なので、祖母が生きてた時も間に入る事は一度もありませんでした。


当時私は小学6年生だったので、祖母がいなくなると、この家がどうなるかくらいは想像できていました。

母は料理がとても苦手でした。
祖母は料理が好きだったので、食事は全て祖母が作っていました。品数も多く、栄養バランスも完璧な食事だったのを覚えています。
そんな完璧な食事にさえ祖父は文句を垂れてた訳で、母が作った料理には、もちろん祖母の時の50億倍は文句を言っていました。

そして母は毎回言われる事のストレスで一人で浴びるように酒を飲み、『もうやだ死にたい』と言うようになりました。

酔っ払って泣き喚き、何度もマンションから飛び降りようとしたり、家から出て行ったり、包丁を持って祖父を刺そうとしたりしていました。

叔父はそれを見て見ぬフリをして、
私は泣きながら母を止めたり、飛び降りようとする母を引きずり下ろしたりしていました。

今思い返すと祖母が亡くなった直後は
祖母を想うどころじゃなかった気がします。

母が出て行って本当に飛び降りたらどうしよう、祖父を刺したらどうしよう、そんな事を考えていたので、母が寝るまで私は寝れませんでした。

そんなことが続いていた頃、
家の電話がひっきりなしに鳴るようになりました。

電話が鳴る度、母は私に電話に出るように言いました。そして、『今家に誰もいないので分かりません』と言う様に言われたので、毎回その通りに言っていました。



続く、、、

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