ランドセルがきらい。
学校がきらいだった。
小学生のころからずっと。
ランドセルを買いに行った日を今でも鮮明に覚えている。
わたしはうれしくなかった。
心がときめかなかった。
何色がいい?と笑顔で尋ねる両親に取り繕った笑顔で「これ!」と指さした。
でも本当は、何色でもどれでもよかった。
入学式の前日。
行きたくないと号泣した。
なんで学校に行くのかわからなかった。
“ふつう”の子どもならこんなこと考えないんだろう。疑問を抱かないんだろう。
でも、幼い頃のわたしは意味がわからなかった。
周りの大人たちは「この子どうしちゃったんだろう」「ふつうじゃないのかな」なんて厄介な目で見てたと思う。
入学式こそなんとか乗り越えたものの、学校が始まってからは毎朝号泣。
親に車に乗せられて昇降口まで連れられて登校するのがお決まりだった。
こんな思いしてまで学校に通う意味って?
その意味を知りたかった。
「子どもは学校に通うもの」そんな世間一般のあたりまえに押し付けられるのが嫌だった。
幼少期からこんな思いを抱きながら育った私は、今でも「不登校」という言葉に敏感で。センサーが反応する。
テレビの番組表を隅から隅まで見て、たまたま、あるドキュメンタリーを見つけた。
「好きなことを学びたいから学校に行かない」
自宅や旅をしながら学び、ときどき学校に行く。前向きな不登校。
https://www.ntv.co.jp/document/backnumber/articles/1894htv0a4a94zhhd9sp.html
自宅で学び、時々学校に行くと選択した兄弟の話。
その両親は子どもの意見をしっかりと聞き、世間の常識に囚われず子どもの個性を伸ばそうとしていた。
たまに思う。
もし、わたしの両親が少しでもわたしの意見に耳を傾けてくれていたら。
学校を嫌がるわたしを。不登校のわたしを恥ずかしがらず、個性として認めてくれていたら。
わたしの自己肯定感は育まれたのだろうか、と。
そんなたらればを思い浮かべてしまうほど、両親の呪縛から逃れられない自分に気づく。
高校生の時、“ふつう”になりたいと泣いた。
今振り返ると、わたしは小学生のときから常に“ふつう”とは程遠いマイノリティだった。
そもそも、“ふつう”ってなんだろう。
世間が思い描くただの偶像にすぎない。そんなものに憧れてしまうのは、人生のレールからはみ出し、暴走してしまった自分を、少しでも認められるようになりたいから。ちょっとでも生きやすい人生を送ってみたいから、なのかな。
リズミカルで明るい、陽のイメージ溢れるランドセルのCMを、胸騒ぎなく見れる日が、わたしには訪れるのかな。