置かれた場所で咲くという言葉
気分前向き、順調の日々を過ごせていたのだけれど、なんだかここ3日ほど、気持ちが下がり始めている自分がいます。
コレという事柄は分からないんだけど、何か心が寂しくなって、ザワザワする感じ。不安感というものなのだろうか。
正体不明ってところがまた、厄介だなぁ。この心の状態に向き合って、正体を突き止めるか、違うことで気持ちを紛らわすか...そんなこと考えてる時間も、なんか疲れる。
こうやって文字に表すと、正体が見えてくるかなって思ったり。今、もしかしてアレ?とぽっとでてきた事柄が二つ。
一つは、職場の先輩から来た連絡の内容。もう一つは、特別支援学級担任が懲戒免職になったっていう報道。
あ、もう一つ出てきた。この間、上司に言われた言葉も引っかかってるのかもしれない。
「あなたは真面目だから、こうあるべきってところから外れてる人をなかなか受け入れられなくて、苦しくなっちゃうでしょ。」
「もう少し、『いい』加減ができるようになるといいよね。」
「自分に対して、『いい』加減ができるようになれば、他人に対しても、『いい』加減になれるだろうなぁって思うよ。もう少し柔軟に考えられたら働きやすいかもね!」
雰囲気からして、慰めとか励ましの気持ちからの言葉だったことは分かるから、受け止めようって思ったんだけど。
その時も今も、この言葉をすんなり、「そうですよね。がんばります!」みたいに前向きに受け取ることができない。
じゃぁ、やっぱり、怒りにまかせて子どもを傷付ける指導をしてるあの先生の言動は、仕方ないって片付けていくしかないってこと?
周りの人がそうしているように、スルーできるようにならないと苦しむよ、やっていけないよってこと?
そうやって自分の心を守りながら仕事できるように、もう少しラフに考えられるといいよねって?
ちがくない?
間違いだって分かってるのに、なんで私が変わらないといけないの?
70日間お休みもらって、仕事のことから離れていたから、あの時の気持ちからも離れられていただけみたいだ。
やっぱり戻ることはできないなって思った。それは逃げなのかもしれない。結局は周りといっしょで、結果的には子どもを助けないっていう選択をしてしまってることになる。
子どもが安心していられる場所にしたいなって思ってるのに、それができない状況の中で、気持ちに折り合いつけながら、自分にできることをやってきたから、みたいな環境。
自分が努力する方がいい、ものは捉え方次第。自分が柔軟に考えて、自分にできることをしていこうってこと。
みんなも頑張ってそうしてるよって言われたらそれまでかもしれないし、その気持ちもわからなくはない。
私が変われないように、他人は簡単には変えられない。自分が変わる方がはやい。わかるけど、変わる必要ある?やっぱり考えただけで、嫌だ。
自分にはできないよ...そういう人たちと同じ環境では働けないよ...
文字に表すと、自分の考えが凝り固まっていて、周りの考えをいかに受け入れられていないか、が露呈してくる。
堅い、堅いなぁ。
去年までは、この自分嫌だなぁ、もう少し柔軟になりたいって思っていた。
置かれた場所で咲くのか
咲ける場所を探すのか
自分を大切にして、生きやすいように生きられるのは、どっちなんだろう?まだ分からない。
周りの人はどう考えるのか、どう捉えるのか、聞いてみたいです。