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遊歩者は進む

リッキー・ゲイツ著、川鍋明日香訳『アメリカを巡る旅 3,700mマイルを走って見つけた、僕たちのこと。』について、各界で活躍する方々とコラムシリーズ第2回をお届けする。

今回は、シンチェインズ(shintchainz)が登場だ。ランナー/映像・建築クリエーター、令和の若大将(スターってこと?)、そして「地球のランナーの止まり木・土曜倶楽部」の中心メンバーである。リッキーが「歩き続けたこと」を、「遊歩者」に接続した、文学的な考察をしてくれた。シンチェインズのフランス時代の貴重な写真とともにお届けする。

インスタグラムでのリッキー・ゲイツとのインタビュー・シリーズ、そして、土曜倶楽部についてはポッドキャスト番組『Thursday - Vocalizing Emotions』と合わせてぜひお楽しみください。

記:木星社   

遊歩者は進む

文:シンチェインズ
Photo & Text by shintchainz, Edited by K@mokusei publishers inc.


どれだけ努力をしても、どれだけ徳を積んでも、まだ見えない先にあるものが見たくなる。

その度にひとは悶々とする。

本書の著者、リッキー・ゲイツは、走る、或いは話すといった名目を使い、出会う人々、自然、都市とはどこか違う、その中間のあいまいで悶々とした存在として3,700マイルを歩んだ。

途中でリッキーが見つけたドラッグの使い捨て注射器から目を見張る美しい光景、やっとありつけた安い食事から知らない人がくれる無償のあたたかさ、これらすべてが好奇心とともに前へ進み、進むごとに感覚が研ぎ澄まされていく。

こうして、写実的なテキストと迫力のあるフォトグラフィーで出来上がった作品は、人々や都市とゆるゆると結びつきながら、ときに熱く、ときに冷たいまなざしで日々を見つめ紡がれたエッセイとなった。

いつも素直でいて、どこか淡々としている。そして、あらゆるピースがつながり、意味を持ちはじめる。

そして、それらのピースをかき集めるのは、地元のひとでもなく、仲間でもなく、ただのよそ者だ。

これは19世紀から現代に生きた、ベンヤミンのパサージュ論、ボードレールの散文詩、永井荷風の濹東綺譚、赤瀬川原平のトマソンなどが獲得してきた「遊歩者」(フラヌール、仏:Flâneur)のまなざしにあたる。まさにその姿は、あいまいな自分の足でどこへもいける自由と贅沢さを示してくれる。その反面、自分の目でしか見れないし、語れないことの厳しさと寂しさを教えてくれる。その姿を知らず知らずにリッキーに重ねてしまうのは私だけであろうか。人はあいまいに歩き続けてきたし、自分もあいまいに日々を歩いていると思うことがある。あいまいな存在のある種の伝統が現代にも時を超えて本書に生きていると感じた。

どんな状況におかれても、ひととの会話を通じた自己開示は、いつしか心を満たしてくれる。

リッキーの歩みは止まらず、進みつづけるごとに出会いがある。

見た目のジャッジだけでは予想していなかった会話があり、生の血の通った心と心が踊りだす。

なぜかわからないけど、そうやって、人間は豊かな時間を過ごすことができる。そして、自然界で生き抜くために心を踊らせ、血を通わせることは人類にとって、救いであり、明日への希望であり、いつしか愛となるのではないか。

リッキーはそんな発見をくれた気がする。

(了)

Shintaro SEKIZAWA a.k.a. shintchainz:令和の若大将。サラリーマンをしながら、かたわらで映像制作や建築デザインを行う26歳。080TOKYOと出会い、ソーシャルランニングを始める。現在は土曜倶楽部でMCを務め、地球のランナーの止まり木になることを目指している。趣味は、ワンカンしながらまちあるき。早朝5時からの英会話。instagram@shintchainz

フランス、ブルゴーニュにshintchainzが滞在していたときのひととき。


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