母はいつも曇りガラスの向こうに
「行ってきました。」
「おかえり。よく来たね。」
駅のホーム。キャリーケースやリュックを持った人たちでごった返し、まるで地元の駅じゃないみたいに混雑している。
そんな中でも、いつものように微笑みながら、ごま豆乳スムージーをこちらに差し出す母。
我が母ながらセンスが良い。2時間半新幹線と電車に揺られ、疲れ切った身体にほのかな甘さがじわっと染みわたる。
実家に帰省するのは5ヶ月ぶり。あれ、結構経っているようで、数字で見ると意外とそんなに経っていないな。
駅の外に出ると、雪は積もっていないものの体の芯から凍えるくらい空気が冷たい。さぶい。凍みる。
ああ、帰ってきた。帰ってきてしまった。
*
帰省。それは一般的には、家族に甘えられるとか、リラックスできるとか、プラスのイメージであるものだと思います。
ですが、私にとっては少し違くて。
「なんでも美味しいもの食べ放題だし、好きなものも買ってもらえるし、なんならお年玉だってもらえる。実家最高!」な私の割合30%。
「うう、ついに帰省する時が来てしまった。あんまり帰りたくない…。」な割合70%。
それにはちょっと複雑な理由があります。
家族のしあわせ?
私が家族のしあわせがいまいちピンときません。
小さい頃から感情を露出するのが苦手で、家族ともあまりコミュニケーションを自発的に取る方ではありませんでした。そのせいで今もなお、家族とどう接すればいいのか戸惑う。
特に母は、頼ってしまう存在、甘えてしまう存在ではありますが、彼女の過去や思考や悩みを、彼女自身から話してもらったことはほとんどなくて。
どんな人生を送ってきたのか、どんなところで悩み、挫折してきたのか、そして今幸せなのか。私にはわからない。
なんだか、私と母との間には曇りガラスが隔っていて、見ようと目を凝らしても見えない世界があるのだと子供ながらに感じてきました。
もちろん母のことは大好きですし尊敬している部分もたくさんあります。でも、完全に掴みきれない不安がいつも付き纏う。
現在、「家族」という言葉はナイーブに扱われることが多くなり、よく言われがちな「家族のしあわせ」像は更新されてきました。昔からの枠に当てはまらない家族像もあると、世間が認めだしてきている。
でも、私も割と複雑な家族構造をしていることもあり、一般的な「家族のしあわせ」像を見せられると、やっぱりうらやましいなあと感じる。
ないものねだりだとわかっていても、どこかで「なんで自分の家はこうなんだろう」と思ってしまう。
あれ、なんか暗いな…あ、別に今の家族に不満を持っているとか、家族に愛されてこなかったとかじゃないので、安心してください。今も十分すぎるほど愛をもらっています。
さてさて本題に入りまして。なんとここまで全て前置きです!長い!
曇りガラスの向こうには
以前から「脱ロボット計画」(人とちゃんと向き合おう!自分の感情を伝えよう!という超個人的な計画。よくロボットみたいだねとか、超高性能AIみたいだねって言われることが多いので命名。)を推し進めていた私は、今回の帰省は家族とちゃんと会話しようと意気込んでいました。
ですが、なかなか話すきっかけもなく…きっかけを探さなければ話しだせない自分にも腹が立つ。
そんななか、帰省時恒例、本屋さんに行って値段も見ずに大量の本を買ってもらうイベント(ただ家族で本屋さんに行くだけ)にて、一冊の本を買ってもらいました。
松浦弥太郎さんの「伝わるちから」というエッセイ。
その本の一編がとても心に沁みて、満足感でいっぱいに。
自然と、このしあわせを母にも共有したくなりました。感想を求めるなんてこといままで無かったのに、その時は母ならどう感じるか、知りたくてたまらなかった。自分でも不思議な感情。
ちなみにその一編の冒頭はこちら。
横に座っていた母に読んでもらうと、こんな感想が返ってきました。
「映像が浮かんできてすごく素敵な文章だね。ネルドリップって紙じゃなくて麻布のフィルターを使って淹れるから、その分、一杯一杯を丁寧に淹れてくれてるかんじが伝わってきてほっこりするね。」
なんとびっくり。母はネルドリップという単語で、頭の中に映像を描いていた。
そういえば、昔から母はコーヒーが好きで、よく自分で淹れていました。私は、今は飲めるようになりましたが、小さい頃は、一口飲ませてもらうと「納豆みたいな味がするー美味しくないー」と言っていたような。
「なんでわざわざこんな苦いものを飲むんだろう、世の中にはもっと美味しい飲み物があるのに。大人になると味覚がバカになるのかな…」と感じてさえいたほど。今思えば、何がどうやって納豆になるのか、当時の私の方こそバカでした。
そんな私にも母は、「大人になったらわかるよ」とふふっと微笑んで、苦いコーヒーをすすっていました。
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母は、ネルドリップという言葉を知っていて、その言葉に込められた、丁寧さや人の手のあたたかみを感じ取っていました。
そんな繊細な感性を持っていたなんて、全然知らなかった。
私の知らない母を知れたような気がして、ほんのすこしだけ曇りガラスの向こう側を覗けたようで、嬉しい。
家族のしあわせって、家族のことを完全に把握しているからこそ生まれるものじゃなくて、
たとえ全てが見えなくても、後になって少しずつあらわになっていくものを感じ取って、そのたびに「歩み寄れたんだ」と思えること。
これもまた一つのしあわせの形なんだと、気付きました。
小説で人を知る
こんな経験は読書だからこそ。本って読む人によって感想や刺さる文章がちがうのが面白いですよね。感想を通してその人を知れる。本音を覗ける。これぞ読書の醍醐味です。
みなさんも、深く知りたいなと思った方がいたら、本の感想を聞いてみるのもおすすめです。
なるべく怖がらせないように微笑みながら、「良かったら本の感想おしえてほしいな!」と言ってみてください。きっと意外な答えが返ってくると思います。
こんなことを言っていると、私が感想を求めた時に「自分のこと知ろうとしてる…こわい」と思う方もいるかもしれませんが、どうかその時は怯えず、疑わず、怖がらず、本音を語ってもらえると嬉しいです。
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先日、下宿先に戻ってきました。
地元も好きだけれど、ここも居心地が良くて安心できる。
この安心感は、私のことを待ってくれている人がいる、そう確信できるから生まれるもの。
2021年に経験した素敵な出会いに感謝して、これからもこの大切な第二の故郷で、すくすく成長していきたいです。
だから言わせてください。
行ってきました!!!
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。