魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語(2013年)【私、いつの間にアニメ感想を語りだしていたの?「隣のおねーさんがなんか言い出した」】
好きな作品であり、自分が書くときに微妙に影響されていた作品。
こういうのを着地点として目指そうとしてたね。
それで新作映画が出るそうなんで、
そうなんついでにちょっと映画感想文も書いてみようかなって。
↓ こちらは伝説の始まりてれびしりーず。
↑ こちらが今回のタイトル続編映画。どっちでもいいけど。
名作の誉れも高きシリーズだけど、これを紹介するのは難しい。
まず、ネタバレ除けというのが基本出来ない。
この作品はどんでん返しを何回も仕掛けてくるタイプの作品だ。
だからネタバレを完全回避しようとすると、
極最初の出だしの部分しか紹介できず、そんなんで当作品の魅力を説明することは不可能である。
同シリーズの新房監督は、
まず大きなお友達に評価されるような戦う戦闘美少女の類型として、
「魔法少女リリカルなのは」シリーズを監督した人である。
私は、それについて良くは知らない。
マイナーな作品だったし、視野に入っては来るけど、他に観たいものがたくさんあった。
しかしそこでひととおりテンプレはやりつくしてしまったので、
異次元にぶっとんだ同タイプの作品を作ろうとしたのだろう。
魔法少女ものって、元は可愛い女の子が、女児向け作品として、
変身して魔法を使って、何か夢みたいなことをするのがテンプレだった。
プリキュアシリーズが、その伝統を今でも忠実に受け継いでいると思う。
しかし「魔法少女」とサブタイがつくと、
今ではホラーとかメンタルとかに分類されてしまう。
鬱な物語がだいたい入って来る。
カテゴリ全体の属性を変えてしまったほど、
そっち方面にひねった。
これはSFと言えば宇宙戦争だったものを、
ホラーものに「遊星からの物体X」が、
はては近未来ものに「ブレードランナー」が、
変えてしまったような事例に類似している。
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もうひとつ、
落として上げる、という物語のテンプレ構造が、
極限的なまでに多用されている作品と言えるだろう。
落として上げるというのは、物語制作の基本だ。
この手を使わない創作は無いと言っても過言ではない。
それにしても濫用していると言ってもよい。もはや中毒だ。
10年代以降のカルト的名作はホラー傾向が強いそうだけど、
これも立派にこの系列に含まれてしまうのだろう。
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そして映画版。
最初の映画は、テレビ版の焼き直しだったけど、
そのあと完全新作の映画が来た。
これが今回の紹介タイトルの作品なんだけど。
またどんでん返しをしかけてくる。
グッドエンドでもバッドエンドでもない、
視聴者の感想次第で、どちらにでも変わるオープンエンドである。
物語は常に枠の外に出てくる。
いつも、自分で敷いたはずの枠の中で、収まりきらずにはみ出してくる。
もうこのシリーズは、オープンエンドが当たり前であり、
視聴後に観た人々が、戸惑い、今のは何だったんだろう?
と語らいあい、解釈し合い、考察しあうのが所与の前提となっている。
ミヒャエルエンデが言うところのモラーリッシェファンタジーだ。
ここでの道徳というのは、考えさせるという意味で、
単に社会で推奨される価値観の確認ではないということだ。
しかし、こういうのを創るのは重労働である。
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なので、続編がそのあとは出てこなかった。
外伝やアプリゲームは出たが、
この続編を創るのは難しいというのが、共通認識だった。
だから、ここで終わりでも仕方ないかな?
と皆が思ってたんだ。
でも続編がこの秋に封切りされるらしい。
(追記:24年の冬となっているので秋ではないらしい。失礼しました)
だから。
新作封切り、おめでとう!!
追記:これは紹介になっているのだろうか?
あと、まどマギシリーズが良いのは、
休日が一日あればどうにか観れること。
↓ 過去に書いた外伝の記事。
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