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君たちはどう生きるか(2013年)【映画感想は、アニメ感想は、どう語るのか。語ってどうするのか?「わからんち」】

やっとこ視聴しました。
いまごろ。

原作はもちろんコレなんですが。
まああんまり読んでいません。

ただ映画と原作は、一致点がないくらいに違うものですね。
映画中にこの本が亡きお母さんからの贈り物として発掘される場面があるだけで。

基本としてはいつものジブリファンタジーです。
むしろ、
これとか、

これに似ている。

宮崎アニメって、明らかにミヒャエルエンデに対抗しているような感じがする。特に最近はその傾向が強い。
そしてとくに今作は最もその傾向が強いような気がする。

そっくりのテイストである。

この絵が出てくるし、
死が出てくると言うことは彼岸の世界に生きたまま行ったということになるし。

「あなたは死なの?」
「もし人間が死とは何かを知っていたら、死を怖がらないだろうね」

モモより

エンデは日本には自分が書いたのと同じファンタジーが無かった。
とか来日の際に発言したそうだが、
おそらく彼が同類と判断できそうな宮崎駿は当時からいた。

もちろん短い滞在中にジブリ映画を観る機会がなかったのは疑いないけど、
しかし宮崎センセの方は、それをどこかで聞いて、
こんにゃろ。見てろよ。
ぐらいの気持ちでいたのだろう。

アオサギはコミックリリーフだけど、

ペリカン、火の姫、おばあさんたち、
積み木、光の道、マグリット。
それからあの、ぽろぽろしてるやつ。生まれ変わり。

インコたち(あれは人間界、もとい戦前日本の象徴だな)
でもレプカやムスカとは違って、だいぶまじめな責任感を持ち合わせている。

カリオストロのセルフオマージュ。
(これまでの宮崎アニメが、どれもどこかにセルフオマージュされてる)

生まれ変わりの意味。
ユングの集合無意識。アーキタイプ。
エンデのファンタージエン。命の花。
叔母を囲っていた型紙。

弟談。思っているよりはるかにちゃんとしたファンタジーだった。

どうも世間では、
よく話がわからなかったと言われるけど。
エンデと語る、とか、

モモを読む、とか読んでると、

怖いほどエンデ文学に寄せてきている感じがする。

またジブリの今後の話を書いたのではないか?
という話もあるけど、
そういう狭い意味だけでは、到底、図り切れないと思うんだ。

継承者が現れずに崩壊してしまう世界は、
いったい何を指しているのだとか。

それはもう、視聴者の判断に委ねられている。

またあの人は、
完全に子孫の「男の子」を後継者にしたかったんだな。
というのが分かる。

叔母さんが連れてこられたのも、
弟が男の子だったので、それが目的だったんだろうなと。
主人公がすぐに来なかったことで、狙いをそっちに切り替えたのか。
火の姫がいるのも、当然のことながら・・・

そしてあの世界が明治維新の前後に作られ始め、
70年ごとに世界の維持が限界に達して、
炎によって焼き払われてしまうとか・・・

現代、2024年の私たち人類をはっきりと眼差している。
監督は明らかに、私たちを視ている。

井戸から何を汲み取るか。
それはメッセージを受け取った側に委ねられている。
幸い、私は井戸の話を遠い昔に聞いたことがあった。

そしてもちろん、外連味を極限まで削ぎ取ったラストには、
凡百の表現者として恐怖すら感じるのだ。

絶対にファンタージエンに行けない人間もいる。
行ったまま帰ってこれない人もいる。
そして行った後に戻ってくる人もいるんだな。
そういう人が両方の世界を豊かにするんだ。

終わりない物語より

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