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自分に問いかけながら今日も生きていく

先日スイスイさんの有料noteを読んでいたら、こんな文章があった👇

自分に自信がないと、人間関係で自信を摂取しようとしてしまい、友達をアイテムみたいに手放さないようにしてしまう。ややこしいなあ本当に!

スイスイさんのnoteより引用

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有料会員にならないと読めないんですけどね・・・

スイスイさんの記事をここで大っぴらに書くわけにはいかないけれど、どうしてもこれだけは書き残しておきたくてちょっとだけ書かせてください!!!


過去の自分を思い返してみても、最近の自分を振り返ってみても、スイスイさんが感じたように「人間関係で自信を摂取」しようとしてしまっていたことがたくさんあることに気がついて、ビックリすると同時に、なんか色んなものが腹落ちして冷静になれた。

自分の自信のなさをどうにかして埋めたいと思っていて、けれどその方法がわからないものだから「友達をアイテム」のようにして自信を回復させようとしていたのかもしれない。

今までそんな風に考えたことはなかったけれど、スイスイさんの文章を読んで、私は人に依存しまくっていて、誰かが自分の辛さをすべてどうにかしてくれるんだと思っていたことに気がついた。自分のスキマを誰かがキレイに埋めてくれるんだと勘違いしていたのもある。そんなわけないのに。

自分の自信は自分で何とかするしかないし、自分のスキマは自分で埋めるしかない。それなのに自分が責任を負うことはしたくないし、失敗だってしたくないから、誰かがどうにかしてくれることを願っていたんだろうなと思う。他力本願だった自分に気がついて、とても呆然としているのだけど、これが私のありのままの姿なんだよねと、いまは冷静に見ることができている。

スイスイさんが言語化してくれたおかげで、私の目も少しずつ覚めたような気がする。友達はアイテムじゃないし、友達が少ないことを嘆く必要はないし、一人でも楽しいって思えることは増やしたらいいし、自分の自信は自分で何とかしたらいいんだと思えて、とても気持ちがラクになったのだった。ありがとう、スイスイさん!!

そんな最近の読書は『ほしいのは「つかれない家族」』

本の中で日本の「一汁三菜」は、上流階級が行っていた食事スタイルだと書いてあった。お手伝いさんがいたような人たちの食事内容ということらしい。

なので、現代のワンオペ育児をしている人たちが、「一汁三菜」をするなんて無理があるという話になって、思わず「え????そうだったの????」と声が出た。生後0ヵ月の赤ん坊を抱っこしながら料理していた過去の自分のためにも、もっと早く知りたい情報だった。10年前にタイムスリップして自分に教えたい。

海外では火を使う料理が、一日に一回や週に一回とかで、そんなに頻繁じゃないんだと書いてあった。今や電子レンジとか、火を使わない料理器具はあるけれど、それでも日本人は結構な割合で火を使う料理をしているのではないかと思う。

好きで料理をしている人は良いけれど、料理が苦手な人はそこまでがんばらなくても良いんじゃないかと本を読んで思えて、私は料理が苦手というよりも嫌いの部類に入るので「一汁三菜」じゃなくてもいいという話を読めただけで救われた。

こういう固定観念みたいなものに縛られるってこと、結構あるんじゃないだろうか。自分の中では「当たり前」と思っていても、それは多くの人にとっての「当たり前」かもしれないけれど、自分の人生にとっての正解ではないはず。

多くの人が思う「当たり前」を選ぶのではなく、その「当たり前」は自分にとって心地よいものかを自問自答していくしかないんだろうな。本当にそれでいいのか、本当にそれを望んでいるのか、そうやって自分に問いかけていくしかないのかも。

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