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読書日記・思い込みは邪魔(4月22日~4月28日)
4月22日(月)
カレーやシチューは、煮込めば煮込むほど美味しくなると思っていた。料理は手間ひまをかけたほうが美味しくなるという思い込みは、山本ゆりさんレシピを知ってから邪魔な存在になった気がする。
ゆりさんのレシピにある、レンジで15分チンするだけのカレーがとても美味しい。シチューなんて、自分で煮込むよりとろみがついていて最高!!
簡単で美味しいレシピを考えてもらえるなら、レシピ本にいくらでもお金を払います!!!という気持ちでいっぱい。
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4月23日(火)
『自分の親に読んでほしかった本』を読む。子どもの話を共感を持って聞くことが、子どもの癇癪をふせぐと書いてあった。いつも子どもたちの話をまったく聞いてない私は、子どもたちの癇癪に悩んでいるのも当然なのでは?? と気づく。
子どもたちの話だけでなく、夫の話もまず否定から入るし、相手の気持ちを尊重することが私には欠如している。だから家族間のケンカが絶えないのだな。なるほど。
自分だって共感されたら嬉しいんだもの、家族にも共感していきたいよねぇ、なんてことを考えていた。言うは易く行うは難し。
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4月24日(水)
少し前に購入した『学習まんが日本の歴史』をあいかわらず読んでいるんだけど、藤原さんがたくさん出てきたあたりから「この人は何をした人だったっけ?」と思う回数が増えている。そして現在、平さんと源さんが登場していて、頭の中がより一層こんがらがっている。
平さんちは名前に「もり」がついているので、なんか頭の中が「もりもりもりもり」している。どういうことかよくわからない。
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4月25日(木)
スマホにあったカラオケのアプリを入れてみる。息子はたいそう気にいったらしく、一人別室でずっと歌っていた。家族の前で歌うのは恥ずかしいらしい。わかる。歌は一人で歌うのが一番ストレスがないよね~、なんて思っていたら、「ねぇ聞いて聞いて」と息子がスマホを持ってきた。どうやらカラオケのアプリは録音機能があるらしく、息子の歌声もきちんと録音されていたので、息子は自分がどれだけ上手に歌えたかを聞いて欲しかったようだ。歌うところは見られたくないけど、歌声を聞かせるのはOKなのね。不思議(私はどっちも恥ずかしい)。
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4月26日(金)
『自分の親に読んでほしかった本』を読む。
親がそばにいてくれなかった時期のある人が、子どもがその年齢になったときに距離を置きたくなるのはよくあることです。あるいは、自分が孤独を感じていたのと同じ年齢に子どもがなったときに、感情面で距離を置きたくなるのもよくあることです。
本の中に、3歳のとき父親が出ていってしまい父親と関わらずに大人になった人が出てきた。その人自身が父親になって息子が3歳になったとき、彼は「家族をやめたい」と思ったようだった。
自分が子どもの頃に受けたショックを、自分の子どもにも与えようとする。それは無意識だけど珍しくないことなんだと本にあって救われる。でもこういう負の連鎖は、自分で断ち切らないとダメよね、と思う。まぁ簡単じゃないんだけどさ。
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4月27日(土)
わたなべぽんさんの『やっとこっかな』を読んだ。[「心のコロナ疲れ」の巻]に書かれていた、連日のコロナのニュースにたいする、ぽんさんの焦りに懐かしさを覚えた。コロナが流行り始めたころ、何をどうしたらいいのかわからなくてムダに慌てることが多かった。このままだと鬱になるかも!!という恐怖も抱いていたっけ。
マスクが売っていないときも慌てたけれど、夫は「マスクがないなら、ハンカチやタオルを口元に巻いたらいいじゃん」と冷静だった(たしかに)。
トイレットペーパーが売っていないときも、夫は「紙がないなら洗えばいいじゃん」と冷静だった(たしかに)。
いま振り返ってみると、コロナ禍でも私の精神がやられなかったのは夫のおかげかもしれない。冷静な人がひとりでもいると、慌てている自分がアホに思えるから不思議。
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4月28日(日)
尾崎衣良さんの『真綿の檻』の4巻を読む。3巻を読んでから続きが気になりすぎていたので、ようやく読めてホッとした。ただ内容が内容だけに、4巻は読む人を選びそうではある。毒親、虐待のようなものが苦手な人は読まないほうがいいと思う。私もそういったテーマは得意ではないけれど、認知のゆがみは誰にでも起こりうることだと思うので、この本は読めてよかった。この本を読んで改めて、自分の「当たり前」は疑ってかかったほうがいいんだなと思った。