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2021年12月27日「自己中ぐらいがちょうどいい」

冬休みに突入した子供たちのお世話で、忙しなく過ごしたおかげで夜になって疲れ目が酷くて目を開けているのもやっとな状態なのに、それでも本を読まないまま寝るなんて出来ない!となり、薄目で『どうかご自愛ください』を読む。

(寝たら良いのに)根性で本を読み進めていたら、他人には親切で評判がいい男性が、恋人には冷たいといった話が出てきて、思わず目を見開いた。

他人に親切に出来る人は、一見すると良い人のように見えるけれど、実は自分を大事に出来ていない場合があって、この本に登場した男性はその典型らしい。

本に登場した男性のように、自分を大事に出来ていない人は、自分と近しい人を大事にすることも出来ないと書かれていた。何故なら「自分=近い存在(家族や恋人など)」となるから。自分に関心が持てないように、近い存在にも関心が持てず、気遣いもしないようになるんだって。

自分に思い当たりすぎて、ぐうの音も出ない・・。

「どうして親に辛く当たるの?」と何度も聞かれるぐらい、私は親に対して冷たい人なのだけど、自分に関心が持てず、いつだって自分の声を無視して生きてきたのだから、家族の声だって無視したらいいと思っていたのかもしれないと気づいた。

よくよく考えたら怖い話。自分を大事に出来ないことは、家族に関係がないことだし、家族は何にも悪くないのにね。

私はいつだって、他人の目を気にしていて、外では人からどう思われるかで動いていた。こうしたら人が喜ぶだろう、ということに意識をずっと向けていて、誰かが嫌な思いをしないようにと気を遣って生きてきた。

他人のために頑張って動いてきたけど、だからと言って、それで誰かを幸せに出来たことはないと思う。そもそも他人を幸せにしようなんて思い上がりも良いところ。自分は親切のつもりでも、相手にして見たら大きなお世話なことって山のようにあるからね。

それに私が人に親切にする根本的な理由は「親切にしている自分を良い人だと認めて欲しい」という思いがある。結局は自分をよく見て欲しい、自分を認めて欲しい、といった思いが先にあるんだ。

誰かに自分を認めてもらわなければ、自分の存在を認められない。そこが大きな問題なんだろうな。

『どうかご自愛ください』にも書かれていたけど、自分を認めるのは自分、自分を幸せにするのも自分、他人じゃない。

「自己中ぐらいがちょうどいい」と本にも書かれていた。

人間とは本来、自分中心であることを認めてください。それでこそ雑念なく愛することができ、心から他人のためにも行動できるのですから。

『どうかご自愛ください』より引用

まずは認めることから始めてみようか、そう思いながらようやく寝た。

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