読書日記・手抜きで敗北で
9月8日(金)
夫が息子に「ママの作る料理と、おばあちゃんの作る料理、どっちが美味しい?」という質問をした。悩んだ息子は「どっちも好き」と答えたので、夫は「無難の答えを出してきたなぁ」と笑っていた。どちらにも角が立たないようにする術を小学生で身につけている息子は素晴らしいと思いつつも、「どっちも」というのは嫁姑問題で一番ダメな答えではなかったか???とふと思い出してしまい、息子の将来を不安に思った。
読んでいたのは、原田ひ香さんの『図書館のお夜食』。
予備知識など一切ない状態で読み始めた本。「図書館」という文字だけで読む!と決めた本だったけれど、これがまたとても良かった。出てくる料理も美味しそうなんだけど、この不思議な図書館の行く末が気になってのめり込むように読んでしまった。本と料理と少しの謎と、大好きなものがあふれていたのでとても楽しい読書時間を過ごせた。
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9月9日(土)
子どもたちの洋服も衣替えしておこうかと思い立つ。今年もギリギリ着られそうなものばかりだったので、洋服を買い足さなくても秋冬は乗り越えられそうだ!と楽観視することにした。大きめサイズを買っておいてよかった。同時に自分の洋服をチェックし、今年はギリギリ着られそうもない洋服が多いことに気づいて愕然とした。去年の自分とはそんなに大きく変わっていない(体重はね)はずだと思っていたけれど、実際に着てみるとわかる。今年の自分の顔に去年の服が合わない。これが・・・加齢・・・・?????
読んでいたのは、稲垣えみ子さんの『もうレシピ本はいらない』。
本当に美味しいものは、毎日食べても美味しいはず。けれど実際は「美味しすぎるものは飽きる」んだと、稲垣さんの言葉を受けてたしかにその通りだなぁと考えた。いくら大好きでも酢豚を毎日お食べと言われたら、最初はよくてもだんだんと「そろそろお米とたくあんをください!それだけで良いですから!!」とか言ってしまいそうな自分がいるもの。
家族に美味しいものを食べさせてあげたい!という思いで料理する私。しかしその思いが、家族にとって「美味しいものは飽きる」というストレスを生み出しているとしたら・・・これってお互いにストレスなのでは???と気づく。相手のためという思いが、自分の首だけではなく相手の首も絞めているという、最悪のパターンになっているのかも。
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9月10日(日)
出かける前までは「アレもしてコレもして」と考えているのに、いざ出かけてしまうと何をしようとしていたのか思い出せないってことが最近とても増えた。子どもたちと用があって出かけたはずなのに、何をするんだったか思い出せない!と何度も頭を抱えてしまった。子どもたちはこんな私に慣れているので「ママまた忘れたの?紙に書いてくれば?」と教えてくれる。その紙に書くという作業すら私は忘れてしまうということを、子どもたちは知らない。ははは。
相変わらず、稲垣えみ子さんの『もうレシピ本はいらない』を読んでいる。
手間暇をかけた料理を作り続けた稲垣さんのお母さんは、晩年、料理を億劫がるようになったらしい。作りたい気持ちはあるのに、材料をそろえ、料理の工程や調味料の配合などを間違えないようにこなすことが困難になったようだった。だったら「簡単な料理」でいいじゃないかと諭しても、稲垣さんのお母さんはそれを嫌がる。
簡単な料理を家族に提供することは「手抜きであり敗北」だと思う気持ち、痛いほど理解できて苦しくなった。ご飯とお味噌汁とお魚を焼くだけなんて、私一人であれば豪華なメニューになる。むしろそんなに要らない。お米だけでも充分。しかし家族がいると、お魚だけだなんてダメだと思ってしまう。もっと美味しいものをたくさん提供しなければいけないんだ!もっと頑張らなければ!!!と、常に頭をフル回転させている。そりゃあ疲れるよね、と今これを書いていて気づいた。
稲垣さんのおっしゃる通り。「本当にそこまでしないといけないもの」って、自分がそう思ってるだけかもしれない。家族は求めていないのかもしれない。ちょっと確かめてみようっと。