読書日記・もともとの素材が違うから
5月15日(月)
ここのところ気持ちが沈んでいて、でも無理にでも笑わなきゃ!楽しくしなきゃ!と思って努力をしていた。でもそういえば、ネガティブな人がポジティブになろうとしても、もともとの素材が違うから無理が生じて余計にしんどくなるだけだよ、と何かの本に書いてあったことを思い出してハッとした。私の気持ちが晴れないのは、こうした無理が少なからず影響しているのかもしれない。無理して気持ちを盛り上げていこうとしなくても良かったんだな、きっと。
読んでいたのは、阿久津隆さんの『読書の日記』。
阿久津さんの日記シリーズ第3弾なのだけど、私はそういえば第2弾を持っていなくて、この日記はいつの話なのだろうかと思いながら読み進める。本の後ろに2018年の日記だと書いてあった。あのころ私は何をしていたっけ?まったく思い出せないので、阿久津さんの日記をふむふむと楽しむ。
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5月16日(火)
朝起きたら娘が熱い。熱をはかると38℃を超えていて、あぁ・・・何か来たのね・・と肩を落とす。何かって何。熱でしんどそうな娘は、朝から夕方まで9時間ほどぶっ通しで眠り続ける。具合の悪いときっていくらでも眠れるとか言うけれど、あれって本当だったんだ。冗談かと思ってた。眠ったおかげで少しずつ元気になっていく娘と、心配しすぎてお腹を壊しまくる私。私は心配事があるとすぐにお腹をくだす。看病する側が不調になると、とたんに色んなことが回らなくなるのでかんべんしてほしい。私のお腹よ、もう少し丈夫になってもらえます?
娘はどうやら風邪っぽいけれど、この風邪が誰に移るのかドキドキするなぁなんてことを考えていたら、すぐに私の喉が痛み出した。あぁ次は私の番なのね、了解。
読んでいたのは、たなかれもんさんの『つま先立ちのサンちゃん』。
自閉症のサンちゃんの特性がマンガでわかりやすく紹介されていたのと、サンちゃんのご両親が優しいこと、サンちゃんが困った状況になっても冷静に対応されていることにビックリもした。これはマンガだからなのだろうか、それとも実際に冷静に対応できるスキルをお持ちなのだろうか。
私はすぐにテンパるので、自分の中になるはずの冷静さには出会ったことがない。備わってないのだろうか。困るんだけど。だから障害を持つ娘との生活も悪戦苦闘しまくっているのだけど、この本を読んで気づいたことがある。私が悪戦苦闘している原因は、娘の困った行動や言動に私なりの解釈で答えを出そうとしているからかもしれない。娘にとって理由がある行動も、娘にとっての理由を無視して、私なりの解釈でその行動の良し悪しを決めてしまっている。娘個人を尊重せずに、親である私が納得する答えを自分で勝手に作り出し、その決めつけた答えで娘をしばっていた。勝手に決めつけられた娘は反発して当然で、でもその反発を私は受け入れようともしなかった。これは子どもが親に反抗して、その反抗を親が受け入れずに叱ったりすることと似ている気がする。よくない。決めつけはよくない。反省。
『つま先立ちのサンちゃん』は、とてものほほ~んとした内容なのに、私の感想が重苦しくなっていて申し訳なさを覚える。読み手である人のメンタル次第で、本の感想がいかようにも変化するという典型的なパターンではないか。典型的なパターンはいいから、本の面白さを伝えてくれよ、と自分に言いたい。面白さだけを伝えるなんてつまらない!面白さを伝えない感想だってあってもいいじゃないか、ともう一人の自分が答える。それは奇をてらったように見せかけて、実は面白さを表現する術がない人の言い訳では?と気づくもう一人の自分。最後の人、正解です!