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承認欲求がつまらなくする

いかん、いかん。またやってしまった。
無意識に心がそっちに向かっている。だれも求めていないのに。

何の話?と思われるだろうけれど、私はまた性懲りもなく自分のnoteに「有益」を求めていたのだ。

今まで何度も「有益」を自分の記事に求めたらダメだと、このnoteで何度も書いているのにもかかわらず、気づいたらまた「有益」を求めてフラフラとさまよってた。ダメだって言ってんのに本当にわからず屋だよ、私って。

読まれるための記事、フォロワーを増やすための記事に仕上げたい気持ちはいつも持ち合わせていて、しかしその気持ちがあると文章を書く手は止まる。あれ?これでいいんだっけ?これはダメじゃない??などと、自問自答が止まらなくなる。

ただ誰かに認めてもらいたくて、必死になっているだけの行為かもしれないけれど、その行為に自分で自分の首がしまる。承認欲求は求めれば求めるほど息苦しくてたまらない。それは何度も経験してわかっていることなのに、私は何度でも承認を求めてしまう。

誰かに認めてもらおうとするから苦しいのであって、自分で自分を認めてあげたらそれでいいといった話もよく耳にするし、実際その通りなんだろうと思うけど、自分で自分を認めることがいつまで経っても下手くそで、だったら他者に認めてもらったほうが手っ取り早いと心のどこかで思っているから、私はいつまでも同じ場所でもがいているのかもしれないな、とこの記事を書きながら思った。

とにかく自分のnoteに「有益」を求めるのはやめよう。「有益」を求めるとnoteが書けなくなって、私がつまらないと感じるから。そう、すべては自分がどう思うかだよ。自分が面白い、楽しいと思って続けていきたいのです。

そんな最近の読書は『阿修羅のごとく』

向田邦子さんの文章は素晴らしいのだと、多くの人が称賛しているようなので、文章を勉強するために読んでみようと思いたった。しかし小説の内容がとても面白くて、文章の勉強という名目はあっさりと忘れ去られた。


父親に愛人がいることを心配した4人姉妹が、母親に気づかれないように右往左往していく様子がとても面白くて、どんどん本が読めてしまう。それにしても姉妹っていいな。

この時代の女性たちの奥ゆかしさというか我慢強さみたいなものも興味深く、しかし私にはそういった奥ゆかしさとか我慢強さのようなものが微塵もないことが残念なようでもあり、安堵する面もあり。

男性の不貞にたいし、女性はぐっとこらえて赦してやるもの。そういった話が作中にあるのだけど、私はそれを理解する気持ちがまるでないために「勝手なことを言うんじゃないよ!」と怒りが生まれた。待て待て、怒っても仕方がない、これはフィクションだもの。

フィクションなのに真剣に怒りを覚えてしまえるほど、私は物語に集中してしまっただけなのか。それとも向田邦子さんの操る文章がうますぎて、フィクションとは思えないほどのリアルがそこにあったのか。

小説を読むと、物語が目の前で繰り広げられている感覚があると読書家の人はよく口にする。私はそういった感覚がよくわからないのだけど、今回はその感覚を味わっている気がしていてとても嬉しい。

読書家のかたたちとまったく同じものなのか自信はないけれど、向田さんの文章を読むと目の前で姉妹がケンカしながらも仲良くやっている様子が見えるようで、あぁ本って面白い!!!!!とひとりで興奮しているのだった。

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