読みすぎたらダメだったかもしれない
「モテない人は余計なことを喋る」という話を聞いて、身に覚えがありすぎていたたまれなかった。
言わんでも良いことを言ってしまう。それは生きていたら誰もが経験していることだと思っていた。しかし、言わんでも良いことを言わない人というのは確かに存在していて、そういう人には人が集まっていたことを思い出した。
黙ってればモテるわけじゃないとは思うけど、でもモテない人は黙っていることが難しいかもしれない。道化になることで注目を浴びるって人もいるもんなぁ、それってまさしく自分のことだなぁと、自分の過去を振り返りながら思い出したくもない古傷に心を痛めた。過去を思い出した私のバカやろう。
そんな最近の読書は『セルフコントロール大全』。
本の中で、フィクション(小説)を読む人についての話があって、そこがとても気になって頭から離れなくなってしまった。
ノンフィクションばかり読んできた、ここ数年の自分を振り返り、確かに孤独感やストレスを感じやすかったかもしれない、と気がついてちょっと茫然としてしまった。まさか本を読むことで、孤独感やストレスを感じやすくなるなんて思ってもみなかった。
自分としては現状打破のつもりでノンフィクション、つまり自己啓発書やビジネス書を読みあさってたんだけど、本を読むだけで行動は特にしていなくて、知識だけを増やせば自分を変えられるかもしれない、という淡い期待だけで生きてきた気はする。
その淡い期待は裏切られ(当たり前)、結局のところ現状が変わらないことに対するストレスを、どんどん増幅させていっただけだった。これって自分で自分へのストレスを増やしていただけってことだよね?それって何の意味もない、むしろ時間のムダだっただけじゃ…。
最近の私は、小説を読む機会がどんどん増えているのだけど、これがとても楽しくて仕方がない。読書が楽しいものだって、改めて気づけて幸せだと思うこともできていた。
そこにきて『コントロール大全』で上記のような文章に出会ったものだから、ちょっとビックリしたのだった。
別にノンフィクションが悪いってことではないし、読んだら面白い本だっていくらでもあるんだけど(とはいえ、コレ!といえる本を覚えてないけど)、ただ読みすぎたらしんどいかもしれない、とは思ってる。
自己啓発やビジネス書は、自分の思考を変化させてくれるものも多いけど、受け入れがたい思考が書いてることもあるし、それを受け入れられない自分がおかしいのかと悩むこともあるし、成功者の話を聞けば聞くほど現状の自分の情けなさに嫌気がさすこともある。そりゃもうたくさんある。
きっと不快になるまで読みすぎてたんだろうな。なんでも「やり過ぎ」って良くないって言うしね。
これからは好きな本、読みたい本を読みすぎない程度に読んでいこう。好きだからって過剰に摂取するのも、それを嫌いになるきっかけになるもんね。