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他人を不幸に引きずり込むメンヘラゾンビ

高校一年生の時、ある本を買った。オードリーの若林正恭さんが執筆した「ナナメの夕暮れ」だった。
その頃私は本屋でエッセイのコーナーを見るのが好きだった。本が特別好きな訳ではないけど、本屋という重厚で落ち着いた空間が好きだ。その中でもエッセイコーナーには、娯楽という現実逃避の手段ではなくて、人生の参考書がどこかにあるような気がしていた。でも必死で追い求めていたというわけでもなくて、ただ何となくそう感じて、暇つぶしをしたい時に何となく足を運ぶのがそこだった。
フィクションものを見ていても「でもこれって結局作者の妄想なんでしょう」と過ぎってしまうひねくれた性格もあった。

私はお笑いやオードリーさんに関しては、正直全然詳しくない。
私の中で接点があったとすれば、日向坂46の冠番組の切り抜きを当時から見ていて、そこにオードリーがMCとして出演していた。でもあくまで私はアイドルを見に行っていたので、若林さんの人間性にごっそり惹かれたエピソードは特にないと思う。番組で文学少女小坂菜緒がナナメの夕暮れの感想を述べていたり、加藤史帆が「買いました!(買っただけ)」と言っていた記憶もあるので本の存在自体は認知していたと思うが。

一時期ハマっていた「オードリーさん、ぜひ会ってほしい人がいるんです」という素人さんを呼ぶ番組で若林さんの芸能人らしくない人間性を垣間見たような気はするが、それを見つけたのは本を買って以降のことのように思う。

ではなぜそれをチョイスしたのか、フィーリングで決めての衝動買いだった気がする。

そしてその本は最初の数ページと、偏頭痛を治療しようとした体験談の章だけ読んで放置していた。それ以外は当時の私には難しかった。感想としては「ニットがチクチクするの分かる」だ。語彙が難解な本ではないが、人間としてある程度達観していないと心の底では理解できない本だ。

当時の私は内向的ながらかなり自己中心的だった。
遠方の高校に通っていたのだが、奇跡的に地元が近い友人が一人だけいた。それだけで十分仲良くなれる要素となった。
彼女は私とは違いパワフルな人であるが、当時はあまり理解していなかった。なぜなら私は地元から逃げるようにしてそこに行き、彼女も全く同じだと思っていたからだ。
高一の時から行きたい大学がある、推薦で入りたいという話を何度もされていたのに、「たまには休んでもいい」「卒業できたらそれでいい」「私を見てみろ」みたいな話をしてしまっていたのはヤバかったと思う。無意識に人の邪魔をしていた。そりゃあ関係も続かないよなと思うわけだ。

人間の多様性に理解がなく、相手の体力ゲージを自分と同じベクトルで考えて本気で心配していたのも勿論ある。

でも言い換えれば私は、人にも自分と同じところかそれ以下でいてほしいと思ってしまっている。それは今も。
これは人と同じことができないことを見下されたくないとかではなく、私はとにかく今の人生が面白くない。ならばせめて孤独ではいたくないと思い、呻きながら街を彷徨う。自分の他人のの線引きもできないので、自分に否定的ではなさそうな同年代の人間は誰ふり構わず噛み付いて全員ここに引きずり込みたくなる。
相手の精神的な土台が弱かったりして成功しかけてしまうことがある。そこで共依存的な関係の恐ろしさを肌で感じて、ようやく少し距離を置こうと思える。

先述した文章は所々ナナメの夕暮れを参考にした。ここ数年デジタルコンテンツばかり読んでいたが、ずっと引きこもっていたら突然、本の生きた重みを感じたくなった。そこで押し入れから数少ない積読本であるこれを引っ張り出して目次から適当なページを開いた。そこには私の人生がただ暗闇で渦巻いている理由を言語化したかのような文章が並んでいた。
人からおすすめされた他の文庫もツボがが分からなくて数年放置していたりするので、人間としての成長を感じたこの機会に試しに読みたいと思う。

ところで、16歳でこの本の良さがわかる小坂菜緒ってマジで頭良いんだな。

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