【遺書18】誰かの言葉に救われたことがない
自分は「誰かの言葉に救われた。」という経験がない。
そうした気持ちになったことがない。
共感してもらえた喜びだとか、
受け入れてもらえたという安心感だとか、
スッと気持ちが楽になった経験だとか、
自分の内面の傷が癒されていく感覚だとか、
そんな経験をしたことがない。
精神科にかれこれ2年ほど通っていて、医師やカウンセラーと話す機会もそれなりにあった。
あるいは、精神科にかかる前から自分の生き方に違和感を持っていたので、何度かカウンセリングを受けたこともあった。
対面、オンライン、メッセージのやり取り、いろいろな方式で複数のカウンセラーに話を聞いてもらい、アドバイスももらった。
ある程度自分の悩みや思いを伝えることはできたと思う。
相手は医師やカウンセラーなわけだから、否定されたりすることもなく話を聞いてもらえた。
そして、相手の意見やアドバイスについて理解できるし、納得できる。
ただ、それだけだ。
今の自分の悩みをネットで検索すると、同じような悩みを抱えた人のブログやYouTubeがたくさん出てくる。
このnoteでもそうだ。
そうした記事を読んだり、動画を見たりすると、やはり同じように理解できるし、納得できる部分はある。
だが、同じように、それだけだ。
よくコメント欄などに、
自分のことのようで涙があふれてきた、とか
自分では表現できていなかった自分の思いを言語化してもらえて気が楽になった、とか
スッと気が楽になった、とか
救われました、とか
そんなコメントが結構あるように思う。
そんなコメントが自分は全く信じられない。
馬鹿にするつもりは毛頭ないが、嘘だろ、と思ってしまう。
結局自分は、共感とか気が楽になるとか、救われた気持ちになるとか、そんなことは多分求めていないのだろうと思う。
そんな一瞬気を紛らわせる方法では満足できなくて、現実的にどうすべきか。
何となく気が楽になる、というような精神論的な話では満足できなくて、現実問題をどう解決すればいいのか。
そうしたところばかりに目がいっているのだと思う。
そして、それを悪いとも思わない。
現実的に問題が解決されなければ意味がないのだから。
だから、きっと自分はこれからも
誰かの言葉に救われることはないし、
誰かの言葉でスッと気持ちが楽になることはないし、
誰かの言葉に勇気づけられることはないし、
誰かの言葉にハッと気づかされることはないし、
誰かの言葉にじんわりと癒されることはないし、
誰かの言葉で自分を変えることはないのだと思う。