35歳体育教師が適応障害になった原因を考える
わたしは2022年4月に適応障害を発症した。
わたしの場合、その時は突然現れた。
ある日の朝、出勤前に立ち上がれなくなるところから始まった。
と思っているが、
果たして原因はなんだったのか。
約1年経った今、思うところを綴ってみようと思う。
適応障害はストレスが原因で抑うつ状態に、なることらしい。
よって、何がストレスだったのかを並べてみる。実際にストレスに感じたりすることはないようなものでも、もしかしたらある意味でストレスだったかも、と思えるものも挙げてみようと思う。
●教師の仕事
①担任業務
・生徒指導
・保護者対応(電話や面談など)
・年間のHR計画
・学級通信
・行事準備、指導
・学年全体の連携(他クラス指導、講演会の実施、学年行事などなど)
・学年主任業務(学年会取りまとめ、多学年との連携、主任会議などなど)
②教科業務
・授業全般
・教科担当行事(体力測定、体育祭など)
・施設用具管理
・教科主任(カリキュラム作成、教科取りまとめ、主任会議などなど)
③校務分掌業務
・教務(時間割作成、年間行事予定作成などなど)
・入試、広報業務(学校説明会、個別ブース対応、入試当日業務などなど)
④部活動
・日々の練習・試合(練習メニュー作成、練習試合等スケジュール作成、遠征合宿計画などなど)
・高体連や協会の業務(会議資料作成、選抜選手選考、選抜練習実施、大会運営、新規大会案作成などなど)
ザッとあげてみるとこんな感じかなあ。
普通の一般企業で働いている方は、どうなんですか?
これくらいの事をこなすのなんて屁でもないのでしょうか?
わたし自身は、仕事を振られたら断ることができないタイプの人間で、多くの仕事を抱えすぎていたのかもしれない。
ただ当時は、周りの諸先輩方はもっとたくさんの仕事を抱えている人もいる、と思い、
そんな先輩達の手前、断ることは出来ない、と思っていた。
ただ、やはりキャパシティは人それぞれで、
わたしが諸先輩方よりもキャパシティが少なかっただけで、自分の身の丈に合った仕事を、
自分の出来る範囲で責任持ってやり切ることが、大人として重要で、
そのためには
「自分の出来得ることを見極めて、仕事を選択し、断ることもなければならない」
のだと今は思う。
ある指導者の言葉で、
「できないことのために、
できることまで
できなくなってはならない」
というものがあるのだが、
わたしはまったく実践出来ていなかった。
同僚の先生には担任すら断り続ける人もいたので、ただでさえ人手不足なのに「そりゃないでしょ」と思っていた。
でも、今思えば、その人はもしかしたら自分のキャパシティをわかっていて、きちんとコントロールしていたのかもしれない。
今なら、その選択の方が、わたしみたいに自滅するよりよっぽど生徒のためになるし、仕事のできる人に思える。
ここでちょっと見方を変えてみる。
教員みんなが、きちんと自分のキャパシティをわきまえて、仕事を断れるようになったとすると、
学校の機能は明らかに停滞する。
断らないで、キャパシティギリギリもしくは超えて仕事をしまくっている人が多くいるのが事実だから。
ただそうなると、わたしのように教員が突然いなくなり、学校教育の質が低下、
生徒指導も増え、保護者からの連絡も増えるだろう。
年度末には必ず生徒・保護者へのアンケートを実施するが、
毎年辛辣な意見、端的に言うと「学費に見合った教育をしているのか」という意見が必ず出る。
学校の先生はこのようにハッパをかけられて結局「頑張らないといけない」と思うようになって、キャパシティ以上の働きを求められるようになるんじゃないかと思う。
基本的に、振られた仕事を断りたくはないじゃん。
先生って、生徒に頼まれたらやっちゃうじゃん。
同じように、人に何か求められたら首を縦に振っちゃう人たちが教師やってるんだと思う。
根本的に解決するには、
教員の数を増やすこと
が第一。
今いる先生の給料を増やしても意味がない。
一人当たりの先生の仕事量を減らしていかないと、みんなが自分のキャパシティに応じた最高の成果を出せない。
わたしはこの一年でそう思うようになった。
この状況でわたしが学校に戻っても
また同じように自分のキャパシティを超えてしまうのではないか、という思いから、復職するつもりはない。
休職というかたちで学校に迷惑をかけているのも事実だが、自分の命を大切にすることを優先したいと思っている。
こんなことを書きながら、お世話になった先生や保護者、そして何より関わった生徒たちの顔が浮かぶのがこれまた辛い。
辛いので今日はここまで。