第9章 silent melon−1
Vol.1
羚羊さんからの返事は予想よりも早かった。僕は、数週間はかかるだろうと思っていたが、3日後には連絡が来た。送られてきたメールには、これから数ヶ月に渡ってブルーガーデンの闇を暴露する特集が組まれるということだった。初版は九月の最終週の金曜日。まずは、不倫疑惑のかかっている政治家が実はブルーガーデンの信者であるということを報道するものだった。小さい記事だが、まずは、つかみとして世間で取り扱いやす不倫報道が選ばれたらしい。高級料理店から出てくる若い女性と政治家が出てきている様子の写真。見出しには、『愛の宣教?ブルーガーデンの実態に迫る!』というものだった。その週刊誌が出版されてから、ワイドショーで取り上げられ、盛んにYutuberたちが取り上げ、急上昇ランキングはブルーガーデンの真実や嘘の混じったようなサムネイル動画で溢れた。熱しやすい今の社会文化を象徴しているかのようなものだった。僕と未来の記事が載るは3回目の特集。ちょうど、未来を轢いた犯人の次の公判の前日となっていた。これは、黒奈の配慮もあったのだろうか。あえて公判の前々日にすることによって、無罪に傾いていたこの事件に波紋を起こすようなシルバーブレットを打ち込もうとしているのかもしれない。
この記事が公表されてからというもの、僕の1日は軽やかになっていった気がする。なんだろう。桃鉄で相手をハメに行っているような感覚に近い。油野や笛吹が悔しがる顔が見れるという期待だけで、僕は生きていけるような気分になった。そんな気分の中、僕は久しぶりに黒奈とデートすることになっていた。代々木公園でイベントがあるということで、まだ残暑が残るような秋に原宿駅で待ち合わせをした。原宿駅に着くと、黒奈が僕を見つけたらしく、駆け寄ってきた。
「相変わらず、原宿は人が多いわね。狭い割にこの駅に人が多いから嫌になっちゃうわ。」
「確かに。駅を広げてほしいよね。早く代々木公園でゆっくりしたいかな。」
「そうね。早速、代々木公園に行きましょう。」
こうして僕らは、代々木公園へと急いだ。人混みをかき分けながら進んでいくと、イベントのテントが広がる代々木公園が見えてきた。
「ちなみになんだけど、今日のイベントって何があるの。」
僕が尋ねると、黒奈が笑いながら答えた。
「知らないわ。」
「えっ。」
僕は黒奈の知らないという言葉に思わず転びそうになった。
「知らないできたの。」
「いいじゃない。なんでもいいから少し外に出たかったのよ。セレンくんと。」
全く、黒奈の行動力には驚かされる。そうこう話していると代々木公園に到着した。なんだろう。聞き覚えのある音楽が流れていた。僕らは、イベントのやっている公園内を見渡すと、タコスやホットドックなど様々な屋台が立ち並んでいる中に、見覚えのある髪色の女の子たちがギターを路上ライブをしていた。
「あれ、木工ボンドのみんなじゃない。」
黒奈も気づいたらしい。ライブハウスを拠点に活動していた彼女らは、路上ライブもやっているようだった。お客さんもかなりいるように思えた。お客さんは、若者が多く、まばらにサラリーマンの男性や頭が禿げ上がった男性などが聞いていた。
「邪魔になるといけないから、遠目から見ておこうか。」
僕がそういうと、黒奈も最前列を見て気づいたらしい。「そうね。」と言って僕らは何か軽食を買いに行くことにした。ホットドックでも買おうかと屋台で並んでいると、木工ボンドの曲が聞こえてきた。
「皆さん。ありがとうございます。次は、私たちの新曲です。”ヒーロー”」
あなたのその正義が私を傷つけているんだよ
気づいている?気づいていないでしょその罪を
触れれば振り下ろす正論という刃を恐れて
沈黙を被ることでしか平和は来ない
今の私に何を求めているのかが分からない
深夜ドラマみたいに脚本はないから
マイノリティにガムをつけられたようだ悲しい話
ダイオキシンみたいな扱いはご勘弁
傲慢な正義にレイプされた
誰もが見て見ぬふりそれどころか
手を叩いて感動ポルノで祥ってる
何が正義で何が悪なのか
鳴り止まない罵声が答えないのか?
そりゃそうさ勝者が正義が歴史の定めだから
戻れないよ静止した思考回路で考えるなよ
捻じ曲げられた真実は樹海の中だ
論じれば破られる論争なんて無意味に思えて
争う心を失ってしまったみたい
今の私にKAITOはを飛ばすことは出来やしない
居場所は大義がないといけないみたいだからさ
被害妄想なんて言葉で終わらせなんてしない
未来皓々なんて夢を見させてくれよ
傲慢な正義にレイプされた
誰もが見て見ぬふりそれどころか
手を叩いて感動ポルノで祥ってる
何が正義で何が悪なのか
鳴り止まない罵声が答えないのか?
そりゃそうさ勝者が正義が歴史の定めだから
消毒できない負の感情掛け合わせて正にする
綺麗事言うなんて価値観が捩れてる
世界は皓だけじゃ描けないだから黝を足してみては
御涙頂戴な鈍色に染め上げるよ溝の空
ひとつまみの悪がレイプされた
誰もが見て見ぬふりそれどころか
手を叩いて感動ポルノで幸ってる
何が正義で何が悪なのか
鳴り止まない惰性が答えないのか?
そりゃそうさ敗者が悪だと歴史が物語るから
正義主義者それをヒーローと呼ぶ世界さ
相変わらず、すごい曲だった。ハードロックな曲もいけるなと僕は心の中で呟いた。僕は、感心している最中、この曲に詰められた哲学が正義について考えさせられえるようだった。この曲のタイトルは、誰かの正義を僕らは”正義主義者=ヒーロー”と読んでいる。その独特なワードセンスに感じる風刺画的な側面が僕に語りかけてくるようだった。人が掲げる正義なんて人によってそれぞれ違うのだろう。だからこそ、世界のあちこちで戦争や紛争が起こっている。ある人は権力。ある人は自由、またある人は名声。みんな自分たちの正義を掲げているから争いが絶えないのだろう。そう思うと、正義なんてこの世の中に必要ないのかもしれない。正義を抱くからこそ、僕たちは争いをやめないのかもしれない。しかし、正義のない世界は、どんな世界になるのかを想像するとそれはそれで恐ろしいと感じた。人は何を信じて何が正しいのか分からない世界。考えることやめた人間が正義の審判を握らないとすると、A Iなどのシステムが支配する世界になる。人の生き方をシステムに委ねる。その人を分析することで、その才能にあった人生を提案していく。その過程で、人は様々な選択、例えば結婚や就職などを全てシステムが決めてくれる。それは、車に乗ってカーナビの指示されるままに目的地へと走るような感覚に近いだろう。人生という冒険の進め方を攻略本を見ながら進むことに楽しみはあるのだろうか。僕はそうは思わない。言われた通りに食事をして、自分で選択することはない人間達。それはもうただの家畜化された人間になってしまう。「そこに幸せはあるのだろうか。」結局、どんなにこの世界を最適化しても、どこかで歪む歪みに対して反乱が起こる。完璧な社会を実現したはずの世界ですらどこかから崩壊する危険性を孕んでいる。つまり、正義は必要悪であるのかもしれない。そうなると、ブルーガーデンもそうなのかもしれない。日本の闇を孕んだ奴らの正義は、僕らからすればただの正義主義者。まあ、僕は許す気なんて全くないが。この戦いは、僕の正義と奴らの正義がぶつかっているんだ。そういう戦いなのかもしれない。
「何考えてるの。」
黒奈が少し心配そうに僕に問いかけてきた。
「あー。いい曲だなって思って。」
「そうね。私もこの曲は好きだわ。早くメジャーデビューしてほしいわね。」
「そうだね。彼女たちが何かの主題歌を歌う日が来るかもしれないね。」
「そういえばどう。最近は。」
「最近。」
「そう、最近。」
「調子がいいね。ここ最近で一番いい。」
「それはよかったわ。」
カラスがゴミ箱を漁っているのが見えた。都会のカラスは太っている気がする。太陽が金属のゴミ箱に当たって偏光している。風が吹いて少し沈黙があった後、黒奈が続けた。
「もう少しね。」
「そうだね。」
「不安?」
「いや、むしろ楽しみだよ。奴らの悔しがる顔を想像するだけで楽しみだよ。」
「性格悪いわね。」
「悪くなかったら復讐なんてしない。」
「そうね。じゃあ、私たち、性格悪い同士ね。」
「何をいまさら。」
二人とも笑っていた。僕らは、ホットドックを買ったあと、ベンチに座って食べた。熱々のウインナーとパンがマリアージュしてとても美味しかった。まあ、まずいホットドックを作る方が難しいかもしれないが。そんなことを思いながら、ホットドックを食べ終え代々木公園を後にした。
ブルーガーデンの記事の第二弾は虹の橋大学の学長が不正な補助金を政治家からもらっているという内容だった。”虹の橋大学。不正補助金の疑い。天下りの橋?”毎回ながら見出しに皮肉がこもっていた。僕は、このタイプの皮肉が好きだった。見出しをいつも誰が書いているのだろうか。たぶん羚羊さんだろうか。この報道が起こってから、虹の橋大学の学長が謝罪会見を行っており、不正にお金を受け取っていたことを認めていた。案外あっさり認めていて驚いた。認めずに逃げるかと思ったが意外と素直なもんだ。まあ、ここで隠すよりもすぐに認めたほうが軽く済むと考えたのだろう。ネットでは、さらに激しくブルーガーデンを取り上げていた。虹の橋大学の学生が不純異性行為を行なったり、深夜にクラブで大騒ぎしているという動画が拡散された。信ぴょう性はよくわからないがそういった有象無象が溢れていた。収拾がつかなくなってきているような感じがしてきた。スマホをスクロールしながら僕は、いよいよ次回に迫る僕と未来の記事の影響がどうなるのか。どんな波紋を見せるのかを少し楽しみにした。
チュンチュン。窓の外からスズメが数羽楽しそうに遊んでいた。スズメの鳴き声で目が覚めるなんて、漫画の中だけの話かと思っていた。しかし、今日の僕はまるで漫画のように、スズメの鳴き声で目が覚めた。少し、気分が高揚しているのだろう。僕はそんなことを思いながら、コーヒーを淹れて眠たい脳に流し込んだ。今日は大学の講義はないのだが、アルバイトがある。僕は、いつものように支度をし、アルバイトへと向かった。
「おはようございます。」
「おはよう。セレンくん、今日はまた随分と早いね。」
翠さんはお店の外で花の状態をチェックしている手を止めて僕に挨拶を返してくれた。まだ、残暑が残るせいで、9時くらいにはもうヒリヒリするような太陽の光が僕の体を刺していた。最近めっぽう秋という季節がなくなっているように思える。
「いえ、なんだか朝早く目が覚めちゃって。早めにきちゃいました。」
「何かいいことでもあった。」
「ええ。いいことがありました。」
「それはよかった。最近、元気ないことが多かったじゃない。」
「すみません。心配させてしまって。」
「全然。それはそうと、奥にある胡蝶蘭が重くてね。一緒に運んでもらえないかな。」
「いいですよ。」
僕は、翠さんと一緒に奥の部屋に入って行った。すると、そこにはとても大きな胡蝶蘭があった。数万円は降らないくらいの立派な胡蝶蘭だった。僕は、「これを落としたら大変なことになるぞ。」と思い、気合を入れて翠さんと持ち上げた。
「セレンくん。気をつけてね。」
「は、はい。死ぬ気で死守します。」
「いや、そうじゃななくて、20センチ後ろに段差あるから。」
「ちょっ、もうちょい早く行ってください。」
僕は、段差に躓いて転びそうになったが、なんとか耐えて体勢を立て直した。
「ごめんごめん。真剣だからそこらへんちゃんと認識しているかと思っていた。」
「意外とそこらへんドジなんで言ってください。」
僕は、冷や汗をダラダラ流しながらゆっくりと胡蝶蘭を運んだ。その間、何度か今のようなやり取りを挟み、やっとのことで胡蝶蘭を運び終えた。
「ふー。疲れた。」
「ありがとうセレンくん。助かったよ。」
「いやー、いつもの倍は疲れました。」
「そんなに。」
「いや、胡蝶蘭高いじゃないですかあ。ヒヤヒヤしましたよ。ところで、この胡蝶蘭は何か特別な用事に使われるんですか。」
「ああ、結構前に花束を見繕った人が今度独立して会社を起業したみたいで。それの会社設立パーティーで使用するみたい。」
「そんな人いましたっけ。」
「覚えてないか。ほら、薔薇のドライフラワーと薔薇の生花を組合せてブルースターをその周りを囲うようにした花束を渡した人だよ。覚えてないかい。」
僕は、一生懸命にその人のことを思い出そうと頭をフル回転で動かした。
「えーと。確か、赤と青のコントラストが綺麗な花束でー。あ、思い出しました。あのサラリーマンでプロポーズするとか言っていた人でしたっけ。」
「正解。その人だよ。」
「すごいですね。会社まで起業して、プロポーズまでして。幸せ位いっぱいですね。」
「いや、プロポーズは失敗したらしいよ。」
「そうなんですか。」
「まあ、そのショックをバネにして頑張ったんだよ。失恋のショックは、大きな活力にもなるからね。」
「そ、そうですね。」
僕は苦笑いをした。確かに、そうかもしれない。僕もそうだったように。今、僕はそのエネルギーを使ってブルーガーデンに復讐をしようとしている訳だ。
「セレンくんは、どうなんだい。」
「えっ。」
「どういうことですか。」
僕は焦った。もしかして、翠さんは気づいているのか。僕のこれから成そうとしていることが。些細な変化に気が付く翠さんなら僕の小さな変化に気づいたのかもしれない。
「会社経営とか興味あるのかなと。」
「あー。あんまり興味がないですね。」
そこまで超能力者というわけではないか。僕は内心安心していた。復讐するなんてしれたら翠さんはなんていうだろうか。きっと止めるに日がいない。僕は止められるわけにはいかなかった。成し遂げるまで止まることなんてできない。
「そうか。残念だな。」
翠さんは残念そうに僕の顔を見た。僕は申し訳なさそうに問い返す。
「残念ですか。」
「うん。セレンくんが社長になれば僕も鼻が高いもんだと思ったんだけどな。」
「すみません。」
「冗談だよ。冗談。気にしないで。」
「翠さん、たまに本気で言うからこう言う冗談なのか分からないですよ。」
「ごめん。」
翠さんは笑いながら作業に移った。ほっと僕は胸を撫で下ろした。そんなこんなしていると、例のサラリーマン風の男がやってきた。
「すみません。予約していた青山です。」
「いらっしゃいませ。お待ちしていました。胡蝶蘭の方ですが、準備できております。」
「ありがとうございます。車に運んでもらえますか。」
「承知しました。」
僕と緑さんは再び胡蝶蘭を車へと運んでいった。さっき運んだ時よりも慎重に運んだ。
「それにしても立派な胡蝶蘭ですね。」
「ええ。仕入れ先の方に一番出来のいいやつをお願いしたので。」
「それはどうもありがとうございます。」
「いえいえ、せっかくのおめでたい日ですので。」
「ありがとうございます。あの時、彼女に振られてから一生懸命に頑張った甲斐があります。」
「どんな方だったんですか。」
「え。」
「いや、失礼じゃなければそのお話をお聞きしたいなと思いまして。」
「翠さん。失礼ですよ。」
僕は、翠さんもが青山さんにいきなりぶっ飛んだ質問をしたのでびっくりした。青山さんは、それを聞いて少し驚いたようだったが、すぐに笑顔に戻り、別れた彼女について話してくれた。
「気にしなくても大丈夫ですよ。所詮過去の話です。そうですね。どこから話しましょうか。あれは、ある晴れた日のことです。彼女との出会いは当然降ってきたにわか雨にぶつかったようなものでした。私は、いつものように会社帰りの家路を歩いていると、彼女は私に突然ぶつかってきたんです。いや、本当に最初はムッとしましたよ。疲れていたし、早く家に帰りたかったのに。しかし、彼女はとても美しかった。まるで真夏に咲くひまわりのようだった。そう彼女を見惚れていると、彼女が私に申し訳なさそうに謝ってきました。私は、全然気にしていないよ言ったんですが、彼女は私にお礼がしたいと言って近くのカフェで食事をすることになりました。話してみると、彼女はとても明るく、少し天然でとても可愛らしかった。私は、自分の学生時代の話や仕事の話などをどんどん話してしまいました。いや、今でもあの時は浮かれていたなと思います。久しぶりだったんです。こう言う人と話すのが。」
「なんだか漫画の出会い方みたいですね。」
翠さんがそう相槌を打った。この言葉を聞いて僕も同意の頷きをしていたが、自分が似たような経験をしているのを思い出し、そんな女の子は世の中には結構いるんだなと思った。
「そう、コミックですね。偶然ではなく必然だったのかもしれない。それから私は、彼女と数回デートを重ねました。彼女とは、動物園や映画、美術館など色々と行きましたが、どれも素敵な時間を過ごすことができました。」
「本当に楽しかったんですね。」
僕は、翠さんが彼と話しているのを横から見ていたが、翠さんが言った通りとても幸せそうな顔をしていた。
「楽しかったですね。なんだかこんな気持ちになったのは久しぶりでした。最後に恋愛をした頃なんて今の会社に入社前でしたからー。まあ、そんなこんなで彼女とお付き合いをしてからしばらくしたある日、彼女から打ち明けられたんですー。」
「いったい何を打ち明けられたんですか。」
「彼女が実は今、家族と絶縁状態であると言うこと。ある宗教団体の2世であること。それによって、彼女がだいぶ苦しんでいると言うことを。」
僕は、「えっ」と声がお腹の底から吐き出しそうになった。いや、もう漏れていたかもしれない。青山さんの境遇があまりにも未来と酷似していたため僕は思わず声が出てしまったのだ。
「驚くのも無理ありませんよね。そう、今話題のブルーガーデンです。私も驚きました。あんな可愛い女の子が信者の2世だなんて。私はね、偏見かもしれませんが、主教なんて不幸になるだけだと思っているんですよ。神なんて信じても誰も幸せになんかなれやしない。神のつげるがままに信仰し、活動しているなんてまるで奴隷じゃありませんか。独裁者と神なんて紙一重ですよ。そんな生き方をしているままじゃ、人が幸せになんてなれるわけがないんです。だって現に、その女の子はこんなにも不幸な顔をしていたんですよ。」
「確かにそうですね。宗教によって不幸になる人も多くいるのは事実です。」
翠さんが悲しそうな声をしていた。翠さんは何か宗教に思い入れがあるのだろうか。憂いを帯びた声からはそう感じられた。
「そんな彼女を救いたいと私は思うようになりました。宗教のことを忘れるくらい毎日を過ごせるように美味しいものを食べたり、楽しい場所に連れて行ったりしていました。彼女もそれを楽しんでいたんです。」
「素敵ですね。彼女のために色々されたわけですね。」
「ええ。色々しました。そこで私は、プロポーズをしようと思って、前回きた時花束を買っておしゃれなお店で食事をしました。私は、楽しみでした。きっと彼女はこのプロポーズをOKしてくれると思ったんです。しかし、彼女は私に別れを切り出してきたんです。驚きました。そんなそぶり一つも見せていなかったので。最初はどうしていいかわかりませんでした。しばらく、沈黙が続いた後、彼女は花束を受け取って「素敵ですね。」と言ってその場を立ち去りました。どうして、彼女は別れを切り出したのかわかりません。きっと私だけが浮かれていたのかもしれません。いつからか、彼女の心は笑っていなかったのかもしれません。私は、自己満足をしているだけだったのかも。」
「そんなことないですよ。その子も嬉しかったはずです。それにその失恋を乗り越えたおかげで、青山さんの今があるんじゃないですか。」
「ありがとうございます。その点に関してはクヨクヨしているわけではないんです。それに、実はこの失恋、ここで終わりじゃなかったんです。」
「そうなんですか。」
「ええ。実は、彼女は別に男がいたんです。私も気づきませんでした。他に男がいたなんて。」
「それは、辛いですね。」
青山さんは、辛い顔をするかと思ったがそうでもなさそうな顔をしていた。むしろ、ボルテージは上がっているように感じた。
「ええ。後日彼女から聞いたのですが、私と知り合う前からその男とは交際しているようでした。こう言うことはもうやめようと思って今回、別れ話をしたわけです。私は、なんだか怒りが湧いてきましたよ。ある意味、復習に近いんでしょうね。見返してやりたいという気持ちが私をここまで築き上げたんです。起業して、どんどん成功したらまた会って今の自分を見せてやりたいと思っていますよ。」
「その粋ですね。どんどん成長してください。」
「ええ。私はこれからもっと成長していきます。」
二人が楽しそうに会話をしていた。しかし、その裏で僕は一つの疑念が浮かび上がっていた。その女の子とはいったい。どんな女の子であるのだろうか。あまりにも、境遇が未来に似ていた。僕は、聞かずにはいられなかった。その女の子の名前を。盛り上がる青山さんと翠さんに僕は水を刺すようだったが、青山さんに話しかけた。
「盛り上がっているところ申し訳ないんですが、一つだけ聞いてもよろしいでしょうか。」
「え。なんだい。」
「その、女の子の名前を聞いてもいいですか。」
青山さんは、「なんでそんなことを聞いてくるんだ。」と少し驚いたような顔をしていた。僕は咄嗟に、怪しまれないように「自分の友達にも似たような境遇の彼女を持っている人がいるので、少し気になって。」と嘘をついた。すると、青山さんは納得したらしく。その女の子の名前を口にした。
「未来さんだよ。まあ、結構女の子に多い名前だよね。」
「そ、そうですね。」
僕は、動揺を隠そうと必死に平然を装った。「ああ、やはり、そうなのか。」どこかで怪しいと思ってしまった悪いことは、どうしてそれを形作ってしまうのだろうか。僕は、そう嘆いてしまった。幾度か怪しいことはあった。しかし、僕も束縛が強いわけではなかった。そう、見て見ぬ振りのようにしていた。臭いものには蓋をする。精神が染み付いてしまっているのだ。いつだったか、未来が虫刺されのように赤くかぶれているのを見たことがあった。あれは、きっと虫刺されなんかではなく、青山さんからもらった花束の中にはブルースターが含まれていたはずだ。ブルースターはその葉から出る分泌液には皮膚をかぶれさせる成分が含まれている。こんなところで、花屋でアルバイトしている知識が役に立つなんて。僕はそう思いながら、青山さんがこれからの希望を持った未来を語っている様子を見ていた。復讐相手のすでにいない復讐の滑稽さを感じながら。