マイケル・ホーニグ『ウラジーミルPの老年時代』(梅村博昭 訳/共和国) 

※一部の特定の体質の方の消化を妨げる怖れがありますので、お食事の前後一時間には服用を避けてください。

二〇一四年のロシアによるクリミア併合後の二〇一六年に刊行された、二〇年後のロシアを舞台にした近未来小説。
「獣道家P」嫌いの僕にとって、本書を読むことは最高の喜びだ。/

さしもの悪名高きウラジーミルPも寄る年波には勝てず、認知症が進んで後継者にその地位を譲り、田舎にある別邸(ダーチャ)で暮らしている。
物語はウラジーミル爺さんの介護人である主人公の目で語られる。/


【だしぬけにウラジーミルは、吐き気を催すような腐臭に気がついた。彼は鼻をくんくんさせた。「何か臭わないか?」
コリャコフも鼻を鳴らした。
「チェチェン人だ」、ウラジーミルが言った。「いまいましいチェチェン人がつきまとって離れないんだ」
「チェチェン人がここにいると?」、資産家が訊いた。
「君には臭わないのか?」
コリャコフは訝しげな顔をした。「私が思うに‥‥‥よくわかりませんが‥‥‥」
「嗅いでみろ!ほら!やってみろ!これはやつだ。あのチェチェン人だ」】/


ウラジーミル爺さんの周囲では、家政婦も、料理長も、運転手も、庭師も、メイドたちに至るまで、全ての関係者がたかり、ピンハネし、掠め取り、寄生し、血を吸っている。
僕は思わず映画のワンシーンを思い出した。
セルゲイ・エイゼンシュタイン監督『戦艦ポチョムキン』の「腐肉にたかる蛆虫」のシーンだ。
悪臭ふんぷんたる腐肉には蛆虫たちがよく似合う。
そうだ、ウラジーミルもここからやって来たのだ。
想像せよ!
前脚をせわしなくこすりあわせて腐肉にたかる「蝿の王」プーチンの姿を。/


甥っ子のパーシャがブログに書いた。/

【われわれは帝国を憧憬するべきではなかった。それはわれわれ臣民に死と破壊をもたらしただけだった。(略)ジャーナリストたちの暗殺。チェチェン人の大量虐殺。国内での弾圧。(略)隣国への代理侵略と死。そして皇帝自身には数十億ドル。別邸と宮殿とヨットとジェット機(略)。

ー中略ー

お訊ねしよう、われわれ国民は何を得ただろうか?
(略)石油とガス、兵器販売のほかには何もない空洞経済。
収賄者、(略)、詐欺師、横領犯たちの社会。口を噤んで大統領を支持するか、さもなくばカラシニコフ銃を携えて顔をマスクで覆った税務警察がドアをノックする国。】/

たちまちパーシャは逮捕拘禁。/


【「甥がブログで書いたんだ。あの人にはロシアを救うチャンスがあったのに、そうせず滅茶苦茶にしてしまったとね。(略)」
料理人は深く溜息をついた。「さあな」
「もしあの人が違ったやり方をしていれば、ひょっとしたらロシアはもっとましな国になっていたはずだと」
「(略)わかるもんかい?(略)ロシアはロシアだからな、コーリャ。ロシアに住むとは地獄に住むことなりーープーシキンがそんなこと言ってなかったか?それがおれたちの運命なんだ。ウラジーミル・ウラジーミロヴィチがおれたちを絞り上げてなかったら、別の誰かが絞り上げてたろうよ」。】/

【ロシアに住むとは地獄に住むことなり】とは、プーシキンかチェーホフかは知らないが、たしかに誰かが言っていそうな言葉だ。
どうやら、ロシアにおいて悪が蔓延しているのは、プーチンに端を発することではないようだ。
スターリン然り、レーニン然り、あまりよく知らないが、ずっと昔のエカチェリーナ女帝やピョートル大帝の頃だっておそらく五十歩百歩だったのではないだろうか?
沼野充義先生の『チェーホフ 七分の絶望と三分の希望』における「七分の絶望」だって、その辺りに淵源するものかもしれない。/


【「それで庭師に?」
「すぐにじゃないですよ。(略)庭師の仕事には平和で誠実な面がある、それなんです、(略)。作物は生きる、作物は育つし、作物は死ぬ。適切な条件であればすくすく育つし、不適切な条件下では枯れてしまう。雑草を生えっぱなしにしておけば、すべての息の根が止まってしまう。雑草を刈り取れば、他のものが生える余地が生まれる。それが生の真実というものじゃないですか?(略)」】/


【「そう、私はこの人が憎い。かつてこの人が何者であり何者でなかったか。この人が何をして何をしなかったか。(略)そのすべてを憎んでいます。(略)しかし肝心なのは、(略)あなたの甥が本当に言いたいことは‥‥‥」。庭師は言葉を切った。(略)「(略)彼が問いかけているのは、(略)どうしてわれわれはこの男にこんなことをさせておけたのか?少年時代から秘密警察になりたいなんて考えたこの恐るべき小男に。どうしてこんな大した実績もなく視野の狭い人物をトップに据えてしまったのか?どうしてわれわれはこんな男を許容したのか?(略)どうしてわれわれはロシアを十字架に磔にして手に釘を打つような時間と機会をこの男に与えたのか?これは一夜にして起こったことではありませんーー何年もかかったんです。そのときわれわれはどこにいましたか?」】/


「ウラジーミルPに捧げるバラード」:

僕は後ろから見ている 
小動物の肩の部分を覆っている布団が 
呼吸で微かに上下しているのを 
ああ 生命とはなんと愛おしいものか 
それゆえ ウラジーミル おまえは悪だ 

ひとたび微笑めば 世界が涙し 
ひとたび涙すれば 永遠の春が訪れる 

ウラジーミルよ おまえは神を僭称する 
だが 哀しいかな 
どんなに肩を揺すって虚勢を張って歩いても 
おまえは ちっぽけな臭い爺さんでしかないのだ 
残念ながら 残念ながら 

ちっちゃいことはきにするな 
ナナナナー ナナナナー 
ちっちゃいことはきにするな 
ナナナナー ナナナナー 

ほら パンパンに膨らんだ 風船のピョートル大帝が 
針で穴をあけられて 
ひゅるひゅるひゅるひゅる お空へ飛んでって 
しまいにゃ しぼんで落ちてきた 
それってどんな どんな気分だい? 
ウラジーミルよ/


今僕は映画『ゴッドファーザーPARTⅢ』のタリア・シャイア演ずるコニーと全く同じ気持ちでプーチンを見つめている。
コニーは今、自分の名付け親(ゴッドファーザー)に、彼の大好物のカンノーリ(ただし毒入り)をプレゼントしたところだ。
コニーは劇場の一角からオペラグラスで彼の様子をしきりに窺っている。
案の定、彼はカンノーリをパクつきながら観劇に夢中だ。

《「眠って。眠るのよ、ゴッドファーザー。」》/


長く暗い夜を過ごしているウクライナの人々に、あけない夜はないのだと教えてくれた作者マイケル・ホーニグ氏に深甚なる畏敬の念と多大なる感謝を捧げるとともに、同氏におかれましては、くれぐれもFSB(ロシア連邦保安庁)による暗殺にご注意されるよう衷心よりご忠告申し上げる。/

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