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大学は勉強だけする場所じゃない。それ以外で学ぶことの方が、圧倒的に多いんだよ。
この台詞に泣いた。最近私がよく泣く、と言うのは置いておいて。
先週から始まった今期のドラマ、マイセカンドアオハルを、TVerで視聴した。視聴の動機の中には、なにわ男子の道枝駿佑が出演しているという理由もあったが、それ以上に、以前からなんとなく、気になっていた。しかし今まで、見る理由がなかった。でも今日、YouTubeショートでたまたま公式の切り抜きを見て、「なんだかおもしろそうだ」と、直感的に思った私。そして私のそれは、だいたい当たる。今回も当たった。
初回から、私の感情が大きく動かされた。
特に劇中、主人公の元同僚が発した
「こんなんじゃなかった」に折り合いをつけていくのが、年を取るってことなんだよ
と言う台詞に苦しくなって、でもそれができたら苦労しない、そんな簡単に行かないから、今私はもがき苦しんでいるんだよ、とも思った。たかだかドラマの台詞に対して八つ当たりしたって、意味がないことは分かっている。それでもなんだか、やけくそになっていた私が、確かにいて。視聴しながら、今の私を重ね合わせて。たくさん泣いた。
それと、主人公を見ていて、こんなに勉強意欲があるのにも関わらず、お金がないことを理由に、進学を諦めざるを得ない人がいる、と言うこの世の中に対して、理不尽だとも思った。
同じ大学生でも、周りを見渡せば、ろくに授業にも出席していない人がいたり、誰か何かに対して愚痴ばかり話す人がいたり。そんな人達は、行きたくても行けない人達からしたら、彼らがどれだけ、羨望や嫉妬の対象になっているのか、自覚はあるのだろうかと。誰目線なのかよく分からない、もやもやした感情になった。
同時に、今の私はこんな身分で、一体何をやっているんだろうと、焦りを感じた。こんな私には、大口を叩く権利などない。私はもっと、慎ましく生きるべきだと、自分でも思う。こんな私が、人生なんてやっぱり楽しんじゃいけないんだと思う。何言っているんだろう私。今くそほど偉そうだなって。
一先ず最低限、大学を4年で卒業するために、必要な授業には皆勤で出席して、卒論を書き進めてはいるけれど。でも裏を返せば、それしかやっていないのだ。そんな私が、他人の人生に口を挟む権利など、これっぽっちもないなんてことは、とっくの疾うに分かり切っている事実であると言うことも。
でも同時に、人には人の人生があって、人の数だけ生き方はある。だから、私は私の人生を生きればいいんだよなって。こんな私にも、人生を楽しむ権利はあって欲しい、あっていいんだって願いを込めて、気持ちをどうにか落ち着かせながら、視聴を続けた。
本当は、こんなに感情を動かしながら、見るドラマじゃないのかもしれない。だけど、一つ一つの事象に対して、深く考え感じながら見てしまうのはもう、私の生まれ持った、ある種の才能なのかもしれないなと最近思う。
そして迎えたドラマの終盤。道枝駿佑演じる小笠原拓が言った、
大学は勉強だけする場所じゃない。それ以外で学ぶことの方が、圧倒的に多いんだよ。
に、ぐっときた。と言うよりも、「卒業まで半年を切った」というこのタイミングだからこそ、私の心には今まで以上に、心に刺さるものがあった。ああ本当に、そうだったなって。過去形なのが、笑うよねって。今は昔、って感じ。それはまるで、竹取物語の、冒頭部分かよって笑。
かれこれ4年も大学生として生活しているとさ、この言葉の重みが、身に染みるんだよな。身に染みるくらい、この日々が私にとって、充実したものになっていたのかなって思うと、それは喜ばしいことだなって思う。
その瞬間、死ぬわけじゃないのに、走馬灯のように、この4年間で経験した様々な出来事が、グワーッと、頭の中を駆け巡って。すごく苦しくなったし、同時にあの日々が、懐かしいとも思った。確かに、輝いていたなって。
もっと早くに、このことに気付けていたらなって、思ってしまうことは否定しない。でもこの4年間のうちに、これに気付けてよかったなとも思う。そしてまだ、今を生きている私。まだ遅くない。まだ、この言葉を噛み締めて生きられる時間が、私にはある。
改めて、大学生と言う時間、今この瞬間を丁寧に、大切に生きて行きたい。日々の選択に責任を持って、私は自分らしい、後悔しない人生を送りたい。
読んでくださってありがとうございます。