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心が凪ぐ、穏やかな気持ち。
私が穏やかに過ごしていると言う事実を、自分の中で許せずに、受け止められなかった。だから今まで、ずっと心が苦しかったんだ。それが分かって、なんだかフッと、気持ちが楽になった気がする。
これまで、努力と頑張ることに価値を見出して、大学卒業するまで駆け抜けてきた。その日々は間違いなく、自分の中でかけがえのない時間だと言える。輝いていた私も嘘じゃない、あれは演じていた私じゃないと、信じたい私がここにいる。
だって、嘘だったんじゃないか、大学四年間のあの月日は、夢だったんじゃないかって疑ってしまう程には、今の私は本当に動けなくなってしまっているから。日常生活を送ることすらままならない現状に、軽く絶望するもの。私ってこんなに脆弱だったっけ。
なんであんなに頑張れていたのかが、今となっては不思議に感じる。まああの時も、正直かなり無理して、頑張っていたけどさ。
無理してまで頑張れるってすごいことなんだなと、今になって思い知る。今の私はもう、そこまで、と言うか「頑張る」ことができないのを、身をもって知っているから。
例えば、ちょっと買い物行くのに自転車走らせるとする。往復距離にして、ものの15分程度の距離でも、今の私にはひどく疲れてしまう。
それでも、家事をすることは続けている。最近は毎日、家族四人分の食器を洗っているから。洗濯も四人分、回して干して取り込むのを繰り返す。掃除機も気が向いた時だけだけど、家中を掛けている。
それと、料理の時には味付けにこだわるようになった。ここ数日、餃子やチヂミのタレはお手製のもの。家にある調味料を使い倒して、家族に振舞っている。家族からも「美味しい!」って言ってもらえて好評なのが、嬉しいなって思う。後は最近だと、きゅうりのたたきや、家にある美味しそうな具材を全部載せた、具沢山ぶっかけ冷奴をつくった。
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この二カ月、図書館通いをしていて、活字に触れる量が確実に増えた。ジャンル問わず、一か月に十冊以上は読んでいると思う。ふと読み返したくなった本だったり、本棚を見ていたら、あら目が合っちゃった…偶然の出会いがあったり。これだから、図書館通いはやめられないなと思う。
頑張らないことを頑張らなくなった私が、それでもnoteを毎日書いているのはどうしてなんだろうなと、さっきシャワーを浴びながらふと疑問に思って、だから考えてみた。
それで結論に至ったのは、「生きていれば呼吸するじゃん?それと同じ」だよなって。私の中で、書くって全然特別なことじゃない。
多分、話すことの方がよっぽど特別。もちろん、時には人を頼って、話して吐き出すのも大切だと思う。だけどその時でも全部は話さないのが、よくも悪くも私なんだろうなって。
私はだから、これからも息するように書く。こうやって文字を打っている間にも、頭の中は思考で溢れていて。それが時に暴走しては心を苦しくさせるから、塩梅が難しいんだけどさ。
読んでくださってありがとうございます。
P.S
写真は昨年の夏、香川県直島へ一人旅に行った時に撮影した、瀬戸内海。穏やかな海は、まさに今の私の心模様を、表しているような気がして。瀬戸内海。何といっても美しさ、そして全てを包み込んでくれるような包容力、雄大で大らかなやさしさを忘れられなくて。いつか必ず、もう一度訪れたい場所です。