共感出来なくても、その人を否定しない―GO HOME第五話を見て

今週のドラマGO HOMEを見て衝撃に襲われた。

フィクションだ、と私にはどうしても思えない。ドラマだから、とは思えない。これは現代に実際に起きた話を、多少脚色はしているけれど、それでも存在する、し得る話、だと思う。

私には、そのようにして生き抜いてきた人達のことを、本当の意味で理解や共感することは、これからもできないのかもしれない。

そのような話を、事実を知ることに、躊躇してしまうかもしれない。実際、来週からのドラマGO HOMEを変わらず見続けられるだろうか、結構な心配と不安が、今の私にはある。でもきっと見続ける。そんな直感が働いているから。

事実を、その人の話を、否定しない。自分の中で、覚悟を決める。見る、知る、と言う覚悟を持つ。覚悟を持つからには、事実から逃げない、背を向けない。見て知って、それにいちいち傷付いて、苦しくなって、泣く。私はきっと、そういう人間。

傍から見れば、痛い人間かもしれない。繊細だとか脆いとか。そういう言葉を嫌う人種もいるだろうから。

それでも私は、そんな私を否定することだけはしたくない。同じように、違う世界で私と同じ時間を過ごし、違うことを考えている人達の話に耳を傾けることを、理解しようとすることを、私はこれからも諦めたくない。


読んでくださってありがとうございます。








追記。
以下、第五話を見た感想の殴り書き。ネタバレ注意です。












私は桜とは違って両親の離婚も再婚もないし、父親違いのきょうだいがいるわけでもない。昔も今も、いるのは両親と五つ離れた弟。だから桜の気持ちなんて理解ができるはずがない。しちゃいけない。そう思ったのに、気付けばその孤独が手に取るように感じられて、痛かった。心が痛かった。苦しくなった。

桜が高校生の時、妹を妬んで殺そうとして自殺しようとした時の話を勇気を振り絞って母親に打ち明けたのに、母親が聞き入れようとしなかった時の、演技だけど、桜が流した涙には、私の気持ちがこれでもかと引っ張られた。母親の、演技だけど「お母さんを困らせないで」とか「何が不満なの」とか、あの言葉が部外者の私にまで刺さった。私はそのような言葉を、両親から掛けられたことはない。それでも、何と言えばいいのか分からないけれど、とにかく心に、刃を突きつけられた気がしたんだ。

桐子さんと紀子さんの関係性。母娘の依存関係。「医学部〇浪した娘が母親を殺す」と言った事件が実際にあったことを思い起こさせた。状況が変わるのが怖くて、迷って、悩んで。母親に見捨てられた気がして絶望して命を絶とうとした、私には想像を凌駕することだった。あまりにも自分とかけ離れていてその状況を咀嚼するのに時間を要した。

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