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高校生からずっと友達のファンな私

私は友達のファンだ。高校生の頃からずっと。

私立の女子高に通っていた当時、ごちゃごちゃでドロドロの人間関係に疲れ果て、人間不信が強くて自分以外は全員敵だと本気で思っていて、人とかかわることが怖かった私。

まあ一言で言えば、病んでいた(と今になって思う。当時はそれが当たり前で何とも思っていなかった)。

それは病的にも精神的にも、本当に色々な意味で。

具体的に言えば、高校生の頃の私は、死にたがっていたし、消えたがっていたし、友達なんていらない、と思っていた。

孤高の存在で居たいと思いつつ、友達グループには一応属していたけど、そこには利害感情しか持っていなかったし。

上辺の話をして初めて成り立つような人間関係に3年間身を置いていた私には、青春やリア充なんて言葉とは、一切無縁だった。リア充は消えればいい、そんな風に思っていた(これは完全に言い過ぎ)

ただそんな私が唯一、本音を話せて心を開いていた人が居た。私が勝手に憧れを抱いていたその人は今、私の友達であり、私は今もその人のファンだ

高校生の頃、私は不器用だった。だからか、私はその人とは「友達」と言っていいのか分からない、絶妙な関係性である、と感じていた。

その人のことを一言で表すならば、他の人よりちょっと心の距離感が近いと私が感じる、憧れのクラスメイト、だろうか。

寧ろ、お互い大学生になってからの方が、関係性が深まっているような気がする。

高校卒業してからは一緒に、20歳の節目で、母校に挨拶にも伺った。ただ当時の私は、母校に自分ひとりで訪問する勇気が無くて、友達に一緒についてきて欲しい、と頼んだくらいだった笑(もう一人で行けるようになった)。

他愛のないことも内面に関しても、何の躊躇もなく話せる…。その友達とは、今そんな関係性だ。

素敵な友達と高校で巡り合えたこと、今この関係性でいられることを、私は本当に誇りに思うし、友達のことが大好きだ。

友達に憧れていた、と書いた。友達は当時から、勉強の志が高くて、コミュニケーション能力が高くて。私と友達はクラスが同じだったんだけれど、傍目から見ていても分かる高さ。クラスのどのグループの人とも分け隔てなくかかわれていて。生まれ変わったらこんな人になりたい。そう本気で思うくらいには、友達は私の憧れだった。

そんな私は、大学生になって環境が変わって、大学で素敵な友達とたくさん出会えて、精神科に通うようになって、物事の捉え方や考え方が変わってから、その時の友達のように、クラスのグループは関係なく、何ならクラスもコースも関係なく、学科の学生と幅広く、かかわることができるようになった。その立ち位置を得られた。

私ってこんなに人と話すことが好きだったんだって、大学に入ってから気付けた。大学に入ってから、私は友達がめちゃくちゃ増えた。交友関係が広がった。

もしかしたら今の私は、高校生の時の友達のようなこと(?)ができているのかも…しれない。

さらに私自身、大学の4年間でもかなりの変貌を遂げたと思っているから、高校生の時の私と今の私では、もう全然違う私になっている、と言っても、過言ではないと思う。

と言いつつも、変わらない部分もある。それは芯の強さ、だろうか。

他には、一度決めたら最後まで諦めずにやり遂げる、だとか、常に成長意欲があるところとか。

友達曰く、いつか高校生だった当時の私が、友達に「自分を変えるためにこの高校に入った」と話したらしい。そして友達曰く「(高校3年間で)ちゃんと変わっている美咲はすごい」らしい。

らしい、を多用しているのは、本人がその出来事を全く覚えていないからである笑。その話を友達がしてくれた時、驚きのリアクションをした私に友達は驚いていた笑。

高校生の時、クラスではグループも立ち位置も正反対、みたいな私達だったのに、今こんなに仲良いのが、いい意味で不思議に感じる。

きっと目に見えない何かが私達を引き寄せてくれて、今があるんだと思う。その友達をこれからも大切にしていくぞ。いつもありがとう。


なんだか急に書きたくなっちゃった。


読んでくださってありがとうございます。

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