語彙の波に溺れる
語彙の波に溺れている。卒論の主語が大きすぎる。
感情とか人間とか、何だよって。私はこんな、偉そうな文章を書ける、いや、書いていい人間じゃない。所詮、ただの文系大学生が書く論文なんて、たかが知れているのに。
今の私、自分で自分の能力を過信していない代わりに、自信もない。これはよくないぞと言うのは、自分自身がよく分かっている。
だって、数十年、いやもっとか。それこそ、「それ」に人生をかけて研究している先駆者の書籍を、幾つか読み漁ったところで。得られる知識なんて、書ける文章なんて。所詮その程度なんだってば。
とっくの疾うに、12000字と言う、大学での下限規定字数を超しているのにもかかわらず、尚。私は中間報告の時に受けた、副査の先生からの「(卒論の)内容が薄い」という指摘が、今も鉛のように、圧し掛かってる。
そんなことは周知の事実。
当たり前だ。卒論なんて、文字数で量れるものじゃないんだから。そんなの、言われなくたって、当初から分かっていたことでしょう?逆に今更、何だと言うのだ。
でもこれは、私の書いた文章に対しての指摘であって、私自身に対する否定ではないことを肝に銘じておく。これは人格否定ではなくてただの批判。
その証拠に、中間報告の時、副査の先生は、褒めるところは褒めてくださったから。その上で、もっと内容を濃くした方がいいよって意味で、ああやって仰ってくれたのだから。
そこの意味を、私ははき違えないようにすること。
ここ重要。試験に出るよ笑
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いや。考え方を変えれば、だからこそ楽なのかもしれない。「私なんて所詮その程度だから」って、ある意味、周囲からの過度な期待に対して、ここまでって線を引いて。区切って取り組めるのは、ある意味では楽なのかも?とすら思ってしまう。
これは決して、自分を卑下しているわけではなくて。大学生なんてそんなもの、社会ってそんなものだからという、穿った見方?(恐らくだけど、自分で言うな)
提出締め切りまで、あと一か月を切っている。
とは言えども、今月末までには一先ず形にして、主査の先生に、早めに目を通していただけるようにしような、私。
読んでくださってありがとうございます。