星野源の『ばらばら』が、紅白歌合戦で聴ける世界でよかった
一致団結、という概念が苦手だ。
それは場所を変えれば、考え方を変えれば克服できるといった類のものではなく、生まれてこのかたメロンをおいしく食べられたことが一度もないように、一種のアレルギーのようなものだと思う。
そう思うことを、許すことにした。
中学生の頃、「今年は絶対金賞取ろうね」と盛り上がる合唱部のみんなの空気に、心はまったく混ざれなかった。金賞を取れば、コンクールはまだ続く。それより私はコンクールをここで終え、夏休みを謳歌したかった。
あんまり経験はないけれど、学生時代、プリクラの落書きが苦手だった。あの瞬間だけ、とんでもなく親友が増えるの、なぜなんだろう?いつの間に、そんな仲よくなったの?笑
どんなに好きな場所でも、場の温度が高まり、「私たち最高だよね!この場所大好き!」というテンションになってくると、途端に居心地が悪くなる。何かを信じ切ったキラキラした目を見ると、「こっちに来ないで」と叫びたくなる。
そんな環境に、ここ数年何度も遭遇している。
大人になったんだし、フリーランスなんだから、選べるはずなのに。克服したいと願っていたのか、はたまた、自分のことが見えていなかったのか。
遭遇するたびに自分を責めてきた。
どうして私は、みんなと同じようになれないのだろう?
そしていつも、なんとなく馴染んでいるふりをする。一致団結した空間の中で、孤になれるほど強くない。それに、ひとつになった人々の反対の矢印を受けるのが怖い。
だけどそれは、ひとりでいるよりずっと孤独だった。
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そんなモヤモヤを頭に巡らせていた帰り道、ふと紅白歌合戦で聴いた星野源の『ばらばら』という歌を思い出した。聴いてすぐは「J-POPのアンチ?笑」なんて思ったりしたけど。
だって、「世界はひとつ」「ぼくらはひとつになれる」……そう歌う曲の方が圧倒的に多いのではないだろうか(知らんけど)。
でもそのまま聴いていくと、どんどん歌の中に吸い込まれていった。そうだよね、そうなんだよ。私のために歌ってくれているみたいに思えた。
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なんで「一致団結」なんて言葉があるのか、なんて。ばらばらの人々が、ひとつになれたときの力が大きいからだってことくらい、容易に想像がつく。だから運動会ではスローガンを決めるし、会社はビジョンを掲げるのだろう。
だけど、ぼくらは、ひとつにはなれない。
なれなくたってよくない?
なれない人を責めてしまうくらいなら。
それは悲しいことでも、ネガティブなことでもなく、「わたしたちはそもそも違う」という事実を認めるということ。
たぶん私は誰かと同じ気持ちになれないのではなく、「同じ気持ちじゃないといられない空気」「違いが許されない強制感」がどうしても嫌なのだと思う。
だって、誰かと同じだって共感し合える瞬間は好きなんだから。
諸行無常。人の心も環境も常に移りゆく中で、「同じ」を保ち続けることは難しい。違いが生まれる方が当たり前。
だからさ。
離れたり近づいたりを繰り返しながら、それを許し合いながら、歩いてゆけたならいいな。
私はそんな世界の住人でいたい。