多様性を考える〜どんな靴下を履いたらいいの?〜
紅白に登場したano(あの)ちゃんの衣装が印象的だった。
大きなタスキをかけたカラフルな衣装。
タスキに書かれていたのは、
“EVERYBODY SHOULD BE ACCEPTED”
“誰もが受け入れられるべきだ”という意味だった。
歌っていた「ちゅ、多様性。」と合わせたメッセージにグッときた人も多いようだ。
私もその中のひとり。
あのちゃんの飾らない性格、個性的なキャラクター、好きなものや嫌いなものを素直に言えるところ、表現力、ルックスなど素敵だなーと思うところがたくさんある。
なかなか全員から受け入れられるのは難しい。
でも一人一人が受け入れようと思う姿勢ってすごく大事だと思う。
“そういう考え方・生き方もあるよね”って。
私が26歳くらいの時にあったエピソードが忘れられない。
研修への参加で外履きから内履きに履き替えるとき、ある40代前半の女性スタッフ(Yさん)がキャラクターものの靴下を履いていたのがチラッと見えた。
『(あ、あの人すみっコぐらし好きなんだー!知らなかったな〜!)』と勝手にほんわかした気持ちになっていた。
同じくそれをみていた、30代後半の女性スタッフ(Tさん)がボソッと言った。
「あの年でキャラクターものの靴下履くのってどうなの」
『・・・え?』
反射的に私はTさんの方を見て、そのままフリーズしていた。
「ね、そう思わない?私は恥ずかしくて履けないよ。Yさんへの見方変わったわ」
これに対して私の頭の中は高速回転した。
(え、この人普段めちゃくちゃ優しくていい人なのに靴下に対して厳しいの?!)
(Yさん、すみっコぐらし似合ってるからいいじゃん!)
(私は40代になったらキャラクター履いちゃいけないの?!)
(というか、いつからダメなの!!)
(私もTさんへの見方変わっちゃうよ!いま!)
(そもそもTさん!あなた誰よりも個性的な髪型してるやん!多様性に理解ある人だと思っていたよ!)
(というか私の靴下めっちゃ毛玉ついてね?1番恥ずかしいの履いてるんですけど)
こんなことを2秒くらいの間で考えた末、私はTさんに対して
『すみっコぐらしっていつの間にか流通してましたよね!
私も見たらハマっちゃうかもしれないです。
アニメ化しているんですかね?
そんなことより私の靴下の方が恥ずかしいですよ!
研修中、毛玉取りに集中します!』
自称、「話逸らしの天才」である私。
話を逸らすコツは
Tさんは「そのくらいの毛玉 大丈夫、大丈夫!」と笑ってくれた。
あれ?いい人に戻った。
帰ってからもこのエピソードがぐるぐる頭の中で再生された。
(私あからさまに急に喋ったな)
(Tさんって靴下へのこだわりがあるんだな)
(Yさんに聞こえてなくてよかった〜)
(あの時だけ靴下の怨霊がTさんにのり移ったのかな。)
(靴下がキャラクターなだけで、その人の見方が変わるってこともあるんだな〜)
(自分も気をつけなきゃなー、でもなにを気をつければいいのだろう)
(好きなものを身につけられないって生きにくいな〜、服とかなに着るのよ)
(常識とは?マナーとは?)
(私も勝手にTさんは多様性のある人だと思い込んでたなー)
(そもそもTさん、お弁当袋ポケモンじゃね?)
(あれは息子のだからいいってことか・・・?)
(子どもがいないとキャラクター使っちゃダメなの?)
(価値観ってなんかすごいな。・・・価値観とは?)
私はいつもこんな感じで会話の復習をしてしまう癖がある。
どんなに些細なことでも、ちょっとでも引っ掛かったらぐるぐるぐるぐる考えて夢にまで見る。
結構しんどいから関わらなければいい話なのだけれど、いつの間にか巻き込まれているのだ。
間の悪いところにいつもいる気がする。私の問題か。
でも最終的に行き着くところはいつも
『そういう考え方もあるよね』
『いろんな生き方があるよね』
『全員から好かれる人なんていない』
『誰にも迷惑かけてないし』
『やりたいようにやればいいんだ』
『人生一度きりなんだし』
『私の人生じゃないし』
『私は私の道を生きるだけ』
こんな感じで思考の迷路を非常口から脱出する。
でもやっぱり一人一人が受け入れようと思う姿勢ってすごく大事だと思う。
“そういう考え方・生き方もあるよね”って。
みんながみんなを受け入れればすみっコでも真ん中っコでも、他人からの干渉を気にせず安心して生きられるのに。
好きな靴下を履いたらいいじゃない。
カラフルで素敵だよ