親の転勤で海外移住。シンガポールは、私の第2の故郷。
飛行機から降り立った瞬間の熱気。
4,5ヶ国語で書かれた表示。
聞こえてくるのは英語に中国語に...。
「帰ってきたんだ...」と思った。
この地に、4年ぶりに…。
シンガポールで暮らすということ
父親の海外転勤を告げられた時、私は小学6年生だった。
それから1年後、シンガポールに移住した。
親が決めた海外転勤、海外移住。
私は、着いて行っただけ。
だけど、あれは、今までの私の人生の1番のターニングポイントだ。
5年間のシンガポール生活
初めての海外での暮らし。
最初こそ、電車やバスに乗ることも、お店での注文にも戸惑っていた。
編入した日本人学校は、テストのレベルは高かったし、副教科の授業が英語で全く理解できなかった。
でも、どんな環境も慣れていくもの。
1人でどこでも行けるようになって、日本行きの飛行機に1人で乗って帰国するようになった。
Subwayに行って、いらない食材を指示し、パンやドレッシングの種類を指定できるようになった。
学校の勉強も、英語に耳が慣れて、大まかな内容は理解できるようになった。
そして…、
色んな民族があること、文化があること、宗教があること。
シンガポールの色々な街に行き、それぞれの料理を食べて、現地の人と話をする中で、初めて知ったことだった。
4年ぶりに、シンガポールに訪れてみた。
4年ぶりのシンガポールは、街自体に新鮮だという気持ちも、懐かしい気持ちも正直なかった。
それくらい、シンガポールの街の風景は、私自身に染みついたものだった。
自分の故郷に戻った時、「帰ってきたな」と感じるのは暖かさ。
同じ感じがした。
シンガポールは変化のある街。
新しいMRT(電車)の路線、新しい駅。
好きだったお店は無くなって、新たなお店に変化していて、新しいショッピングモールやお店がたくさんあった。
でも、街の雰囲気は変わらない。
よく行っていたショッピングモールに、通学に愛用していたバスの番号。
思い出のものに触れるたびに、暖かい気持ちがした。
そんな変化も、変わらない風景も、シンガポールらしくて、好き。
シンガポールが好きだと、改めて思った。
シンガポールには、ターバンを巻いた人、民族衣装を身に纏った人…が、何気なくいて、交わり合っている。
日本と違うのは、好奇な目線を向けられることが無いことな気がした。
シンガポール時代の友達は、シンガポール旅行中に、「日本ではいつも気を張っていないといけない気がする」と言っていた。
確かに、シンガポールは自由さがあり、日本が窮屈に感じることもある。
シンガポールでは、街中で、「その服装で外出するんだ」と思ってしまうこともしばしば…笑
でも、誰も何も気にしていない。
日本は好き。
私の母国で、日本人で、アイデンティティは日本にあると思っている。
でも、日本とは違うシンガポールも好きだ、シンガポールは第2の故郷だ、と改めて感じた旅だった。
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