『ゆるり。 公案入門』 に寄せて
先日、かねてより執筆しておりました、対話形式での坐禅マニュアルを書き終えることができました。亀の歩みというのはこのことで、亀どころかカタツムリの如くマイペースにマイマイと進めておりましたら、これほどの時が過ぎ去ってしまっており、光陰矢の如しと感慨深い限りです。
詳しくはないのですが、古代ギリシャの哲学者プラトンの著作は、師と弟子の対話形式である「対話篇」というスタイルをとるものが多いようです(というか、全て?)。先述したカエルの坐禅マニュアルは、まさにその対話篇の形で、今までお世話になったさまざまな方々(直接お会いしていない方や、故人も含む)に教えていただいたことを、一つのものにまとめよう!と思い立ったのが、執筆のきっかけでありました。
さて、拙筆ながら、この「対話篇による禅に関する書き物」をすることに、自ら一抹の手応えを得ることができたということもあり、同じ手筈にて、禅の公案に関する書き物をしてみようと思いつきました。それが、『ゆるり。公案入門』シリーズです。タイトルの通り、私が好きな公案や、実際に、実地(専門的には「室内」と言います)で公案修行に取り組む際にとりわけ印象的だったものを、ゆるりとご紹介するという趣旨のものです。
これを機会に、公案、あるいはもっと卑近な表現をするならば、「禅問答」という、何か掴みどころのないものが、読者の皆さまの身近になる一助となり、ひいては、その中から真剣に道を求めて公案に取り組まれる人が出て来られ、真理を見出し、人生において大きな自由と真の安心を得られるきっかけとなれば幸いです。
また、そんな硬いこと言わずとも(笑)、単純に、note 読者の方が公案というものを知られ、そのご縁で、禅の実践をする仲間が多くできるといいな、との願いで、これを書いている、と言っても良いかもしれません。
公案って?
公案とは、「公府の案牘(こうふのあんとく)」の略称です。平たく言うと、法律のようなものと捉えてよろしいかと思います。もちろん、禅の話ですから、世間一般の法律の話ではなく、真理のお話です。私たちが背こうとしても背くことが絶対にできない、絶対権威、法、そんな真の事実を、このように表現しているのですね。
ただし、これは哲学的な思索を要する真理ではなく、あくまで坐禅を主とした実践の中で体得されるべき真理で、観念的、抽象的、理知的なものではありません。非常に具体的で、英語で言うと tangible(触知できる、明らかな) と表現すべきものです。
さらに具体的に言うと、公案とは、古く禅の実践者間で交わされた様々なやり取りや、言行の記録です。禅の修行では、これを現代において取り上げ、指導者と実践者の間でのマンツーマンレッスン(「独参」と言います)の題材とするわけです。まあ、厳密にいうと、わたしたちが想像するような、いわゆる「レッスン」とは趣の異なるものではありますが。
この「レッスン」の場では、実践者は、この題材をもとに自ら体得したところを、指導者に対して示さなければいけません。指導者はそれに対して、実践者が示したもの、そしてその示し方をジャッジして、OK や NGを出します。いわゆる「禅問答」を非常にざっくりと説明すると、以上のような感じになるでしょうか。
公案集について
上で説明した公案というものは、その数 1,700 あると言われています。その中から古人が選りすぐって編集し、コメントや詩などを加えてアンソロジー化した、公案集とも言うべきものが、世には多数存在しています。もっとも有名なものでは『無門関』や『碧巌録』などがあり、公案で実践を行うには欠かせないものとなっています。『ゆるり。公案入門』では、これら公案集にあるものを中心に、公案をご紹介し、それらがどのような雰囲気のものであるかというのを、いささかでも味わっていただければと思います。
それでは、めくるめく公案の世界へと出発いたしましょう!
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