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【京都の駒札53】廬山寺(ろざんじ)
日本廬山と号する圓浄宗の大本山で、正しくは天台講寺という。天慶元年(九三八)、慈恵大師良源(元三大師)が船岡山南麓に開いた與願金剛院に始まる。寛元三年(一二四五)、法然上人に帰依した住心房覚瑜が出雲路に廬山寺を開き、この二ヵ寺を兼務した廬山寺第三世明導照源上人(一三三九~一三六八)によって廬山寺を與願金剛院に統合し、円、浄土、戒、密の四宗兼学寺院となった。
その後、応仁の兵火に遭い、天正元年(一五七三)、当地に移った。現在の堂宇は、一七八八年の「天明の大火」による炎山以後のものである。
当地は紫式部の邸宅跡で、源氏物語執筆の地と伝えられ、本堂前の「源氏の庭」には「紫式部邸宅址」の石碑が立っている。
本堂には、恵心僧都の作と伝えられる阿弥陀三尊等が安置されている。そのほか、国宝の慈恵大師自筆遺告状、また、重要文化財として、鎌倉時代の如意輪観音半跏像、後伏見天皇及び正親町天皇の宸翰、法然上人選択集などを蔵し、境内には、光格天皇父の閑院宮典仁親王(慶光天皇)陵などがある。
良源が修行の邪魔をする悪鬼を退散させたという故事に由来する二月三日の節分会は「鬼の法楽」の名で知られ、悪疫退散を祈願する行事が行われる。
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