むび太郎
洋画好きな私による洋画おすすめ記事や作品を語る記事など、とにかく洋画に関する記事はこちら。
なにかの体験談系をまとめました
真面目な話をまとめました
私の個人的な話を語るシリーズのなかで、暗い方の記事はこちら
私の個人的な話を語るシリーズのなかで、暗くない方の記事はこちら
ええ加減、自己紹介を書こうかなと思いまして。色々な記事を書いてきたのにまだやってなかったので、やってみることにしました。 むび太郎とは何者か私は普通の病みがちな社会人です。 とある夢があったけど上手くいかなくて、借金と親からの失望の念だけ残りました。悲しいけど、潰れそうな毎日のなか自分なりに頑張ってます。 生きてる意味が分からず迷子になりがちなので、《なぜ生きているのか=海外へ出るため》を忘れないようにしています。 「生まれたくて生まれたんじゃない」 これは常に思っているこ
タイトル通りである。 私のベッドは部屋の角にあり、頭側と左側が壁に面している。左側の壁に窓。窓のすぐ下は川。 そのため、夏になると家の前で大音量で鳴きまくるウシガエルは夏の風物詩です。その年によってウシガエルが居る位置は違うものの、部屋の真ん前で鳴かれるとたまったもんじゃないレベルでうるさい^^; それが2〜3匹になるともっとうるさい^^; ちなみに彼らは台風などの後は増水した川に流されちゃうのか、台風通過後は鳴き声が遠くにいく(笑)でも、しばらくするとまた戻ってくる……
フリーターになって1年半。 たった1ヶ月で終わった社畜正社員生活。 残念ながら、そこに悔いはない。 悔いるべきとも思わない強気な私とは裏腹に無情な社会。 昔から思うのは、「何者かになりたい」ということ。 「何かを成し遂げたい」 「なりたい自分になりたい」 と、成功を渇望する自分が叫んでいる。 本当は分かっているつもりだ。 「nobody」でいいんだと。 “何者でもなくていい。何者かになれなくていい。どこにでもいる誰でもない者、ノーバディでいい”と。 だけど、成功者を見て
人生って長すぎる。 縄文時代の平均寿命は15年だったそうだが、令和の時代では「人生100年時代」とかいう背筋が凍る文言が常識化しているという、本当にある怖い話。稲川淳二氏のホラー話よりダントツで恐い話である。 正直言って、私は生きていたくない。 「生きていたくない」→「けど死ねない」→だから生きている……というだけのことで、この命を有難く全うする気など、悪いけど全くない。「生きていたらいいことがあるよ」なんて言葉は、薄っぺい無責任な言葉だがきっと間違いではない。でも、絶望感
誰だよ?「女性のメイクはマナー」とか決めたの? 女性として生まれた以上、なかなか避けて通れないのがメイク。やりたくても、やりたくなくても、マナーとして強要される場面がよくある。しかし、大学まではメイクが禁止の学校は多いし、メイクしてたら教師に怒られる(私はしてなかったが、してる生徒は注意を受けていた)。そのため学生時代に言われるのは「メイクは禁止」。なのに、大人になると途端に「メイクはマナー」と言われる。 意味が分からない。 例えば、就活時。 清潔感のある就活メイクなるもの
①台風により旅行がキャンセルに去年からずっと和歌山の白浜にある海水浴場に行きたくて、今年の6月くらいにお値段高めのホテルに予約して、食事の豪華なコースも予約した。この旅行に行くこと、ただそれだけを楽しみに仕事を頑張って、どんなときも耐えてきたのに、台風のせいで行けなくなった。よりによって旅行の日に和歌山に台風が到着してしまったのだ。台風最低すぎる。クタバレ台風! 誰か分かってよこの気持ち……。 退職後でタイミングもバッチリだったし、旅行のために服も買ったし、夏休み明けで人も
インスタ、XことTwitter、などなどのSNSが普及し、自分の日常を投稿するのが普通となっている現代でも、SNSを全くやっていない(=投稿していない)人間がこの世にいるのでしょうか?います。私です。 とはいえ、好きな芸能人の投稿を見る為だけにアカウントは持っています。完全なる“見る専”です。ですが鍵アカですし何も投稿しません。友達とも知り合いとも誰とも繋がっていません。学生時代、友達にインスタ交換しようと言われたら「やってない」と答えていた気がします(笑)あんま覚えてませ
私の半生を語ります。 先に言っておきますがめちゃくちゃな過去です。恥ずかしいので人に言いたくないですが、過去を恥じる自分を克服したいし、ダメな自分を受け入れたい。そのために、ここで過去を語って人に読んでもらうことで自分を許す足がかりにならないかな……という試みです。 いつか書こうと思っていましたが、執筆にあたり過去と向き合うのが辛くてずっと出来ずにいました。ですが今回は、書ける範囲で過去を語ります。 中学時代普通の陰キャ。人付き合いが苦手で、この頃が人生で一番人見知りだっ
「あかん。もうあかん」が本心。 こんにちは、むび太朗です。 退職後、頭がこんがらがって迷走してます。 自分は何がしたいのか、 何ができるのか? 何のために生きているのか、 その目的のために何をすべきか? どうしても離せないのは 「海外に行きたい」という夢だけ。 他にも気になる仕事や思い切ってやってみたいと思う仕事はあるけど、お金を貯めたいだけだから本格的にガッツリ働く必要はないし。 頭に浮かぶのは2つの記憶。 前職を退職するときに優しい社員さんに言われた「百貨店での経験
久しぶりに映画記事です。 本アカウントの存在理由は本来、映画記事を書くためなので、アカウントの主“むび太郎”の本業はこっちです。なので今日は本業を全うします。 まず、本作ポスターに書かれているキャッチフレーズが好きなので紹介させていただきます。 本作のポスター(ジャケ写)は、折りたたんだパンフレットを再度開いたかのように十字線が入っている加工がされており、ソフィが閉じ込めた記憶を再度蘇らせて繋ぎ合わせていくというストーリーが非常に上手く表されているようで、お洒落でありなが
退職しますという記事を書いたあと、 予定より早く退職することになった。ので、 予定より早くニートになってしまった(笑) 今後の予定としては、 ★バイトをしながら ★自主勉強+オンライン英会話で 英語力をつけて ★お金が貯まり次第海外へ ……というのが計画だけど、 これは長期的な目標です。 なので必要なのはお金と英語力。 お金はバイトをしながら貯めて、 その傍ら勉強して英語力をつけていく。 それが理想です。 でも、計画はあくまで 「計画」に過ぎないのです。 これまで立て
【契約社員シリーズ】はこれからも続くと思われましたが、唐突に終止符を打つことになりました。でもこれは悲劇ではなく、新たなステップです。 ブラック企業を一抜け最近アルバイトの人が次々と解雇された(から実際は全く「一抜け」ではない)。 契約社員である以上ある程度は雇用が守られると思って安心していたが、最終的には自主的に退職することにした。 理由は、 ①店長の人間性が終わっているから ②社長の人間性が終わっているから ③会社の性質が終わっているから ④「フルタイムはなし」という
契約社員に関する記事がそろそろシリーズ化してしまいそうです。そんなはずじゃないのに……。 今回は、今の職場で契約社員になって見つけた自分の新しい一面の話です。 ①意外とハートが強い…?オープニングスタッフとして入ったのだが、“オープニング”なので出店当初は顧客ゼロ。イチから作り上げていく過程のスタート地点だった。なのでまず宣伝のために店舗付近でチラシ配りを2回ほどしたのだが、通行人に立ち止まってもらえなくても無視されても、意外と傷つかなかった。 みんな「かなしい」「ちょ
あの頃は幸せだった。 恵まれた小学生時代。色々あったけど、今思えばあの頃が1番幸せだった。 朝は母が起こしてくれて、朝ごはんを作ってくれてて、帰ったら宿題をして遊んで、夜ご飯も母の美味しいご飯を食べて、好きなテレビを見て寝る。幸せ以外のなにものでもなかった。 あの頃はなんにでもなれて、どこへでも行けた。無限の可能性があった。純白の、なにも描かれていない、汚れを知らない地図。未来に拓かれた希望。大きな夢を見て、それが叶うと信じていた。自信もあった。でもそれは無知だったから。
突然ですが今は気力も時間もないので、すみませんが導入なしで早速書いていきます。コンパクトにいきます。 (これを導入にカウントしようとしている) まずは私の状況説明・ふつうの無能 ・大いなる挫折→フリーターを経て、小さい中小企業の契約社員になる ・契約社員は普通にバイトと同じ非正規雇用の時間給で社員じゃないのに、「社員なんだから」ハラスメントを受ける ・未だにミスしてよく怒られる ・新入社員(もちろん正社員)が3人来て、仕事を教えるようになる ・最近店長の機嫌が悪い&当たりが
推しが死んだ日。 あの日から私の心は止まったままだ。 忘れた日はなかった。大好きな彼らが脱退や自殺でバラバラになり悲しかったし、彼の死で1年間は酷く落ち込んだ。今も私の心に暗い影を落としているし、思い出す度にとても悲しくてたまらなくなる。とても恋しい。でも、きっと私よりもご家族やご友人、メンバーの皆の方がもっとずっと悲しいと思うから。いつまでも私たちファンが悲しんでいてはいけない。 頭ではそうわかっているけれど、心は彼をいつまでも恋しがっていて、死を受け入れられずにいる。