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人生への絶望感について

人生って長すぎる。
縄文時代の平均寿命は15年だったそうだが、令和の時代では「人生100年時代」とかいう背筋が凍る文言が常識化しているという、本当にある怖い話。稲川淳二氏のホラー話よりダントツで恐い話である。

正直言って、私は生きていたくない。
「生きていたくない」→「けど死ねない」→だから生きている……というだけのことで、この命を有難く全うする気など、悪いけど全くない。「生きていたらいいことがあるよ」なんて言葉は、薄っぺい無責任な言葉だがきっと間違いではない。でも、絶望感に打ちひしがれている瞬間には全く響かない言葉であることも間違いない。

人生は軌道修正が効くのだろうか。
効くのだと思う。難しいけれど。
何か人生を左右する選択ミスをした時点で人生が一度終わる。そこから軌道修正をかけて再起できるかは人による。私の場合、一度目に人生が終わった時のまま時が止まって、歩めるはずだったレールの残骸や心の不調もそのままに、どうにかやっていこうと もがく けれどその度に再起失敗となっている。これが死ぬまで続くのではないか、または死なないかぎり終わらないのではないか、というお先真っ暗な感じをずっと感じている。正社員だった時期もフリーターの今もそれは変わらない。

「生まれてきたくなかった」とこぼすと「バカじゃないの」と言われるが、その通りバカなのだ。バカじゃなきゃこんな人生で生きていられない。
自分が「生まれてきたくなかった」と思うたびに、「子供など産むべきでない」と思う。やはり子供を産むのは罪だ。とはいえ、ベビーを見るたびに「生まれてきて可哀想」と思うのだが、自分の心の醜さを痛感するので我ながら嫌だ。しかし、子供を産むのは親のエゴという考えは決して変わらない。
(“反出生主義”について
 語った記事はこちら↓)


孤独に生きている。
自分が孤独を感じると毎回、祖父母も親戚もいないことを恨み、そんな自分の心の醜さをここでも痛感する。それも嫌だ。

でも真面目な話、祖父母の顔を覚えてないなんて人が日本に何割いるだろう。おじさん・おばさんの顔を知らない人が何割いるだろう。だから、私を孤独にしたのは少なからず親のせいもあるんじゃないか?と真面目に思ってたりもする。「誰も頼らず自分たちだけで育ててきた」と親は得意げに言うが、私は祖父母や親戚のおじさん・おばさんが欲しかった。親以外の血縁者に可愛がられた記憶が欲しかった。

私が覚えているのは、おそらく未就学児くらい小さかった頃にたまーに家に訪ねてきた父方の祖父。腐ったコーヒーや腐ったイチゴなどの期限切れのものばかり持ってきた人。腐ったコーヒーで母が下していたのを覚えている。ちなみに、この人に抱っこしてもらった記憶も話した記憶も全くない。亡くなったと聞いても何も悲しくなかったし、葬儀も行っていない。やったのかすら知らないし、どちらにせよ父は参加していない。
あとは母方の祖母が一度来てくれたのを、記憶なのか夢なのか分からないレベルで覚えている。
もはや、父方の祖父も母方の祖母も、家に来たのは記憶なのか夢なのか分からないレベルで遥か彼方の薄い記憶である。

あとは父の腹違いの弟が、私が幼い頃たまに家に来ていたのは覚えている。いつからか来なくなり、今は音沙汰ない。父方の祖父が死んだあと家を相続したそうだが、兄である父は何ひとつ相続していない。

まあ覚えているのはこんくらい。
だから祖父母の家に夏休みに遊びに行く普通の人達が羨ましい。

まあーなんというか、こんなくだらない人生なので、やり直したい地点に戻ってやり直せるように、人を長生きさせる医療の技術なんかよりタイムマシーンを開発してほしいもんですね。

(祖父母・親戚がいない孤独感について語った記事はこちら↓)


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