映画『aftersun/アフターサン』を考察しながら語る
久しぶりに映画記事です。
本アカウントの存在理由は本来、映画記事を書くためなので、アカウントの主“むび太郎”の本業はこっちです。なので今日は本業を全うします。
まず、本作ポスターに書かれているキャッチフレーズが好きなので紹介させていただきます。
本作のポスター(ジャケ写)は、折りたたんだパンフレットを再度開いたかのように十字線が入っている加工がされており、ソフィが閉じ込めた記憶を再度蘇らせて繋ぎ合わせていくというストーリーが非常に上手く表されているようで、お洒落でありながら的確な演出だと思います。
人物紹介
★カラム
31歳の若き父。
別れた妻とは今もいい関係を続けているが、
現在は別の男性キースと仲良くしている模様。
その彼と新たな仕事の計画を立てている。
離れて暮らす一人娘のソフィとトルコに
遊びに行く。
★ソフィ
11歳の少女。親子仲は良好。
父のカラムとトルコ旅行へ。
自分も31歳になった現在、
ビデオテープを再生し当時の父の心中を知ろうとする。
ストーリーについて
眩いバカンス、重すぎる本旨
トルコでのバカンス。
楽しそうに遊ぶ2人を眩い太陽が照らす。
純粋にはしゃぐソフィだが、父カラムは時々辛そうな表情をする。でもそんな姿は決して娘の前では見せないし、11歳の娘に真面目な生死の話など出来るはずもない。そのため当時のソフィは父が何を思っていたか知る由もなかった。
だがカラムはひとりで何かに悩み、苦しみ、
自殺を考えていた。そのせいか1人のときの彼はかなり沈んでいる。ソフィといるときでも、彼女に見えないところで悲痛な面持ちを見せることがある。
カラムの過去を推測
では、カラムはなぜそんなに思い詰めていたのだろうか。それはかなり過去に遡る。結論から言うと、カラムは同性愛者説が最も有力となっている。
ここでその根拠を提示したいところだがかなり長くなるので、本記事より優秀な考察記事が沢山あるので検索して好きなのを読んでいただければと思います。というわけで、今回は同性愛者説を唱える根拠などの詳細は省きますが、カラムがゲイであると肯定すれば筋が通ります。
◎若くして父になった理由
→ストレートとして生きるかありのままゲイとして生きるか悩んだ10代後半に女性と性行為に及びソフィが誕生、若くして父になる。責任をもって父として娘を受け入れ育てるが、やはりストレートとして生きることよりゲイとして生きることを選び、ソフィの母と別れ、キースと付き合っている(?)
◎ソフィが度々一緒に遊んだグループの青年2人のキスシーン、それを眺めるソフィ
→離れて暮らす娘と自殺願望をもつ父とのバカンスが本筋なら不要なシーン。やたら長く描写され、それを眺めるソフィの姿も映される。
=意味のあるシーン。同性愛やセックスに関するシーンが何度か登場&現在のソフィがレズビアンであることから、当時のソフィも性に関して未完成であった(ソフィも、自分は同性愛者かもしれないという自覚があった)と推測。
◎カラムが故郷スコットランドに帰りたくない理由
→家族への愛も、会いたい友達も、故郷でのいい思い出もないから。その理由はこちら↓
◎父親らしき男性に強引に連れられていく少年を眺めるカラム。その夜、娘に護身術を真剣に教えた理由。+カラムが誕生日を父親に忘れられていたこと
→カラムは親に大事にされずに育った。身体的虐待を受けていたかは不明だが、それもありえない話ではない。そして時代的に彼が子供だった頃のスコットランドは同性愛にとても厳しかったそうなので、子供の頃からゲイだった彼は親もしくは同級生に「男らしくない」「ナヨナヨしている」と見られ、酷い扱いを受けていたのかもしれない。穏やかで優しい性格のせいでナメられてイジメを受けていた可能性もある。スコットランドでの暗い学生時代を過ごした記憶がカラムを長年苦しめていて、希死念慮を招いたのではないか。
◎キースと、ロンドン郊外に部屋を借りて仕事をする話
→現在の恋人かそれに近い間柄と思われる。
水球的なゲームを筋肉質な若者たちとしているときのカラムがソフィを置いてけぼりにしてしまうほど楽しそうだったのを見るに、現在は偽らずにゲイとして生きていると思われる。
闇へ堕ちていく
いつから彼がそういう思いを抱いていたのか。
おそらく10代、遅くとも20代前半のときには既に自殺願望があったはず。
「40歳なんて想像できない。
30歳の自分に驚くよ」
というセリフから少なくとも20代の時には既に生きる気がなかったと分かる。
ソフィが「すごく最高の日を過ごした後で家に帰ると、疲れて落ち込んじゃう。骨が動いてくれない。クタクタで何もしたくなくなる。沈んでいくみたいなミョーな感じ」と言ったときに、カラムは鏡に向かって唾を吐く。彼の自分自身への憎しみを感じる辛いシーンだ。
現在のソフィの潜在意識を表すかのように、ダンスフロアで踊るカラムを彼を探すソフィのシーンが描かれている。ここで彼が着ているのは最後に会った日に着ていた服。空港で別れたあの日が2人が会った最後の日となってしまった。
ソフィを見送った後カラムはドアに向かって歩いていく。彼が出ていったそのドアの隙間をよく見ると、ドアの先はあのダンスフロアになっている。空港を出た彼は死へと向かったのだろう。とても悲しいシーンだ。
現在のソフィとビデオテープ
本作はキャッチフレーズの通り、
当時の父と同じ31歳になったソフィが、
“自らこの世を去った父の心の中を知りたくて、父と過ごした最後のひと夏の思い出を撮った当時のビデオテープを見ながら亡き父との記憶を辿り、当時の父の気持ちを想像する”というもの。
だが、そのあとソフィは
“父と同じ道を行かない”
という決意をする。
終盤のダンスフロアでの場面では、
父を探すソフィ→見つけて何かを叫ぶソフィ→抱きしめる→父を突き放す→どこかへ落ちていくカラム
が描かれている。ここでソフィは父を突き放すが本当の意味で突き放して愛想を尽かしたのではなく、父の死との決別を意味しているのではないかと思う。
自責の念や喪失の深い悲しみに囚われてきた彼女が、ついに“父のようにはならない。父の分まで生きる”と決意したのではないか。
生死、親子愛
一度死に囚われるとなかなか逃げられない。
ソレは長い間どこまでも付きまとい離れない。
カラムが30歳まで生きる気がなかったのに31歳を迎えられるまで生きられたのは、ソフィの存在が大きかったのではないかと思う。娘の成長を見守りたい、楽しい思い出を作りたい……と。
もし初めから旅が終われば死ぬつもりだったなら、娘に自分との楽しい思い出を遺したくて旅に行くことにしたのかもしれない。
どちらにせよ、カラムは娘を愛していた。
ストレートになろうとしたがなれなかった、もしくは望んでならなかったが、ソフィは自分の子なのだから愛しい存在だったに違いない。身の守り方を真剣に教えたのもそのためだ。
もちろんソフィも父が大好きだったのはビデオを見れば一目瞭然だ。
ソフィと父
11歳のソフィは父の心中を知る由もなかった。
ではいつ知ったのか。
ここからは個人的な推測。
ソフィ母はカラムに危うい部分があることを知っていたのではないか?
連絡を取りあっていたのは、単に別れた後も良好な関係を続けているからというだけでなく、彼が心配だったからでは?
彼の死後、いつ頃かは分からないが、ソフィは母から父のメンタル面に問題があったことを聞かされたのではないか。
ビデオテープはずっと持っていたものの辛くて見ることが出来ずにいたが、当時の父と同じ31歳になったことをきっかけに、当時の自分には分からなかった父の心を知りたくてやっとビデオテープを見たのでは?
「どうして自分を置いて逝ってしまったんだ」という怒り。
「ずっと会いたくて寂しかった」
という恋しさ。
「ずっと大好きだったし、今も大好き」
という愛。
「でも、私はパパのようにはならない」
という決意。
ダンスフロアのシーンは、短い中にこんな想いが詰まっているようでとても深い。
アフターサン
aftersunは「日焼け後」という意味。
本作には日焼け止めを塗るシーンが度々ある。
日焼けするとヒリヒリして痛かったり、痒くなったりする。それを防ぎたくて使うのが日焼け止めクリームだ。
荒い映像の部分だけがビデオテープで他は現在のソフィの記憶や想像と思われるので、日焼け止めを塗るシーンは彼女の記憶と思われる。
本作の監督は全ての描写、シーン、さらにその順番まで意味を持たせておりかなり細かく作られている。
だから思うのだが、
日焼け止めを塗る=日焼けを防ぐため
つまり、「父の死を防ぎたかった」というソフィの想いのメタファーではないか。
きっとソフィは父の思いに気づけなかった自分を責めたと思う。父の死後20年間、沢山良いことや辛いことがあったはず。そんなとき「パパがいてくれたら」なんて思うこともあったのではないか。寂しい思いをしてきて、先に死んでしまった父を憎む瞬間もあったかもしれない。
31歳になりビデオテープを見て父のと思い出を
辿り気持ちを整理できたとしても、これからも父の死はソフィの心に暗い影を落とし続けるだろう。だが、亡き父との記憶に向き合い乗り越えたソフィは父よりも強く生きていける強さを持っている。だから多分、ソフィが父と同じ運命を辿ることはない。
再生するビデオテープ、再生できない思い出
ビデオテープを再生し、封じ込めてきた思い出を蘇らせる。
でもビデオテープを再生しても思い出は再生しない。どうしたってもう戻らないのだ。
ソフィはビデオを通してあの年のひと夏に戻り、もう取り戻せない思い出に向き合い、20年間封じ込めてきた記憶を1ページずつ蘇らせ、気持ちにカタをつけて前進しようと試みた。
そしてソフィは前進できたが、もう眩い夏の思い出が戻らないのは見ていて切なくなる。過去が戻らないのは当たり前なのだが……。
キャストの演技力
主演のポール・メスカルの演技が非常によい。撮影時20代半ばという若さでありながら11歳の娘の父親を好演している。ソフィと楽しく遊ぶシーンと1人の時の沈んだ表情の演じ分けがなかなか良くて、ハマり役だった。スコットランド訛り?もしくは彼自身の出身地アイルランドの訛りも混ざっているかもしれないが、とにかく訛りが好き。ていうかイギリス英語が好き(めっちゃ個人的w)。
ソフィを演じたフランキー・コリオも、無邪気だが大人びている少女を好演している。
これは作品がよく作り込まれているだけにメインキャストの2人の演技が良くなければ感動が薄まってしまうので、キャスティングが良かったのが要だ。暗いし重いので人にオススメしにくいが個人的には大好きな作品。
以上です。