待つ夏。
金曜日、小学校の終業式でした。
夏休みの始まりです。
夏休みは
一人の時間がなかなか作りにくいし
3食つくって食べさせなきゃいけないっていう
大変さはある。
自分のペースじゃなくて、子どもに合わせた生活になる。
けれど
そんな子どもの夏休みを
私は毎年楽しみにしている。
一緒にしたいことがたくさんある。
行きたい場所も
つくりたいものも。
学習面でも、普段よりも習熟の時間をたっぷりとれるし
プラスαができるのが長期休みのいいところ。
こんなことを悠々と語っていると
子煩悩とか教育熱心とか
そういうお母さん像を描かれやすいけれど
たぶん単純に、子どもと一緒に何かをするのが好きなんだと思う。
趣味のようなもの。
料理が得意な人
機械に強い人
情報収集が得意な人
美意識が高い人
体を動かすのが好きな人
時間を見つけて読書できる人
好きなことに没頭できる人
仕事が好きな人
人には個性があるから
人ができることが
自分にはできないってことはよくあるし
自分にできることが
誰かにとっては難しく面倒なことだってある。
たまに劣等感や罪悪感を感じてしまいそうになるけれど
私には私の特技があると思う。
子どもとずっと一緒にいて楽しめるということも
私の特技の一つだと思う。
もちろん、うまくやれる日ばかりではない。
イライラすることもあるし
これでいいのかな?って心配になったり
怖くなったりすることもある。
未来はみえないし
子育てには正解や答えってものはない。
だれかがジャッジしてくれるものでもない。
だから私は
目の前の子どもたちの成長を
自分の中の正解や答えだと思いながら頑張っている。
教員時代
クラスには30人以上の子どもたちがいて
生活面でも学習面でも
責任をもって見守っていた。
勉強が得意な子も苦手な子もいた。
全員に、同じことをできるようにさせることは困難だけれど
その子の中での満足感や達成感を味わわせることを
私はずっと大切にしてきた。
できないからしょうがない、じゃなくて
できる子と同じように、じゃなくて
その子が達成できそうな一番高い目標を一緒にみつけて
一緒に叶えて
一緒に喜べること。
それが自分の喜びだった。
その気持ちは、我が子の子育てにも繋がっている。
勉強が分かる子・勉強ができる子にするよりも
「学ぶことが楽しい」
「自分にはこれが分かる」
そう思える子を育てることのほうが難しい。
勉強を教えることよりも
たのしく勉強を続けるためのサポートのほうが難しい。
そしてやりがいを感じる。
私の中の永遠のテーマで
自分の子育てのゴールだと思っている。
「啐啄同時(そったくどうじ)」という言葉がある。
鳥の雛が卵から生まれ出ようと
殻の中から卵の殻をつついて音を立てた時
それを聞きつけた親鳥がすかさず外からついばんで
殻を破る手助けをすることを意味するそうです。
そんな両者の「啐」と「啄」が
最高のタイミングで行われることが
親子であったり師弟の理想であるのですね。
私は、たぶん卵の中が気になって気になって
子が合図を送る前に
中を確認したいと思ってしまうタイプ。
それじゃいかんとは分かってます。
しかしそういう傾向にある私。
だから気をつけています。
ぐっと我慢して見守る、待つこと。
「待つ」って、受け身の行動のようで
ものすごく影響力のある姿勢なんじゃないかって
最近思うのです。
子どもへのサポートが充実しすぎることは
いいことばかりではないのです。
何がこの子のためになるのか。
子どもが勝手に出てくるだろうと
放任してもいけない。
出てくる準備が整う前に
子の意思に反して
無理やり殻を破るわけにもいかない。
卵の中を透視する能力も、勿論ない。
だから、私はとりあえず
卵のそばで
耳をすませて待っていたい。
応援していたい。
それができる親になりたい。
教員としても
いつかそんな一人の大人として、
現場に帰りたい。
今の私の目標です。
夏休み。
私にも、成長ののびしろが
きっとあるはず🌻
今日も読んでくれてありがとう!
みなさんも暑い夏を
身体を大切に、乗り切ってください。
自分のペースでね。