人生で初めての休職生活【第1期②】
つむぎ|紡希です◡̈
春になるとともに晴れの日が多くなり、体調も上向きの日が増えてきた気がします🍃
前回は、なんとか休職までたどり着いたものの【休み方がわからない】、
そして【抑圧(我慢)の積み重ねが病気を招いたことに気がついた】というお話でした。
果たしてその後は一体どうなったのか…??
読んでいてネガティブなお気持ちになったらご自身でストップされてくださいね。
●休職直後:芽生えたのは、罪悪感と失望
休職1ヶ月目、休み方がわからないことに混乱していましたが、
早くも病気を招いたであろう原因のひとつに気がつくことができました。
しかし、1週間もしないうちに次第にソワソワしはじめます。
「仕事をとったら自分には何も残らない」
「同期は今も頑張っているのに、情けない」
「いい歳して職場に迷惑かけてしまって、恥ずかしい。申し訳ない。」
まるで、インクが滲むかのように自分自身を責める言葉が次々と浮かんできます。
「せっかく覚悟を決めて進学・卒業したのに、その結果がこれか、、、」
「5年間(予備校時代も含めて)も無駄にしてる。この時間は何だったんだろう」
「自分って本当にだめで出来損ないなんだな、、、」
日々の思考はこの繰り返しで、
常時ネガティブな言葉を自分にかけ続けていたんですよね。
心が健康でも、夜に時間があるときなどに、ふと物思いに耽ることってありませんか?
急にやる事(仕事)がなくなって、そこにただ時間だけができて、その延長で気がつけばそんなことばかりを考えている。
そして、思考はどんどん枝分かれして、時には飛躍もして、だけど自分自身が『ダメだからなんだ』という結論にしかならない脳内議論がいつも展開されている。
本当は、そんな風にしか考えられない自分が嫌だって心のどこか(本能)では思っているのに、見て見ぬふりをして、自分自身が気がつく前にフタをする、、、
当時、自分自身ではこの思考の偏りには気がつくことができませんでした。
見切りをつけるのが早い傾向にあるとは自覚していましたが、
これまで何年も『100%で頑張るのは当たり前のこと』、『自分は人の何倍も頑張らないといけない(それなりの形にならない)』、『(後輩ができたときや順位など出る際に)人より上に立つなら、さらにその限界を超え続けなければならない』と思って生活してきたのですから。
✎現在の自分が、過去の自分にかけてあげたい言葉とは?
単刀直入にいうと、たくさんの【労いの言葉】をかけてあげたいです。
自分自身に厳しいことは決して悪いことではないと思いますが、傷つけたままにはしないこと。
例えるなら、火傷をしたら冷やすし、必要に応じて薬も塗る、保護が必要な状態なら処置をすることと同じことだと思います。
① 大きく方向転換しようと決意して行動できたこと、勉強が苦手だった自分が進学できたこと、行動した結果として卒業して看護師の資格を取れたこと。
【成長したくて変わりたくて、実行できたことを褒めてあげたい】
【生活が変わっても慣れない環境に適応したこと・自分の芯がブレなかったことを褒めてあげたい】
【それまでの人生にはないプレッシャーの数々を乗り越えてきたことを褒めてあげたい】
②自分には何も残らないなんてことはない。
【希少な経験はきっと価値になる。自信がないことですら価値になりうる】
【仕事を取っても、その人自身の価値が変わると思ったことないように自分自身も一緒。卑下しなくていい。それは謙遜とは違う】
これを読んでくださっている方々は自分自身に、あたたかい言葉をかけていますか?
●休職半月後:奈落の底に落ちる
見出しが少々大袈裟かなと思いましたが、1番辛かった時期の体験を脚色を加えずに綴っていきたいと思います。
罪悪感でいっぱいで自分に失望した人間がそれでも自分自身を責めつづけたら、
こうなる可能性があるということを知っていただきたいからです。
ある朝、身体が動かなくなりました。
体調不良はずっとあったので倦怠感は常にあったので、それまでも起きることにエネルギーは使用していたと思います。
その日は目が覚めたら、ベッドから起き上がれなくなっていました。
✎日常生活行動ができない?
仕事に行っているときと変わらない時間に目は覚めるのです。
だけど、起き上がるという行動がとんでもなく辛い。身体がずっしりと重くてだるくて、カーテンを開けることですらも何時間もかかってしまう。
何をする気にもなれなくて、気がつけば夕方までベッドから出られない。
【何も感じない】のですよね。ただ肉体だけが生存しているような感覚でした。
【日常生活行動】というのは、
具体的には『ベッドから起き上がる』『顔を洗う』『歯を磨く』『着替える』『身だしなみを整える』『ごはんを食べる』『トイレに行く』『お風呂に入る』等の私達が普段何気なくしている行動で、生活を構成する基本的な行動のことです。
トイレに行くことですら一大決心なのです。
例えるなら、疲労困憊の状況で、気持ちがとても億劫になるくらいに何キロも先にあるトイレに行かなければいけない時の感覚。
そう表現すると少し伝わりやすいでしょうか。
夕方から夜になるとほんのちょっとだけ元気になる日もありました。
元気になると行っても1時間くらい起き上がっていられたらよくやった!という感じ。
食べられそうならゼリー飲料やプリンに口をつけて、歯磨きするためのエネルギーを溜めるためにまたベッドで休む。
歯磨きしたら、また休んで洗面するためのエネルギーを溜める。上手くいけば洗面して最低限のスキンケアができるけど、できない時もある。
シャワーに入るのは大儀のため、1回/2〜3日ペース。
元々は毎日入っていたし、美容も好きで風邪をひいてもスキンケアの時間は頑張る位大好きだったのに。
早く仕事に復帰したいのに。
当たり前にできたことができない。そんな状態にまで堕ちてしまった、、、
落胆し、また自分のことを責める一方でした。
✎現在の主治医と出会う
この時期に、受診先を変更しました。
今の主治医は、私が診断を受ける前に知り合いから教えてもらったクリニックでした。
変更前の先生のお人柄も素敵だったのですが、主には以下の理由からです。
①初診は20分くらいかけてもらえたが、他の患者は診察が平均5分程度に伺えたため。
②体調不良の際に、待合室に居るだけで疲れてしまいそう(初診のときに、常に人でぎゅうぎゅうで圧迫感から動悸がひどくなったため)
③処方してもらった漢方薬では、私の病状には効果が得られなかったことと、上記2点から本格的に治療が必要そうな自分には他の医師のもとが良さそうと感じたため。
※私が薬に抵抗がある旨をお伝えしたため、
漢方薬を処方してくださったのだと思います。
こうして休職2ヶ月目あたりから、
納得のうえ薬物療法を開始しました。
薬の効果が得られるまでは、気力が沸かなくて日常生活行動はままならなかったです。
きちんと内服をして、現状には抗わず次の受診までの気力を少しでも溜める日々でした。
●おわりに
今回1番しんどい時期を書いたため、読むことが辛い内容になってしまったし、これまで以上にネガティブな内容になってしまいました。
今回お伝えしたいことは2点です。
①自分を労うということ、優しく言葉や愛でるということは心の健康には必要だと思ったこと
②適応障害や抑うつ状態などの診断名でも、鬱病の症状のように身体が重くなったり、日常生活行動ができなくなった経験をしたということ
※メンタル疾患は、症状など固有のものがあるためあくまで一例として受け取っていただきますようお願いします。
いつも『スキ♡』に励まされております。
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。
私の経験が何かのお役に立てることがあれば、幸いです𖤣𖥧𖥣𖡡𖥧𖤣