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本と珈琲と、赤土の美しい海岸の記憶。

以前、こちらの記事で「鬱の本」のことを書いた。

辛かった今年の夏はこの本にだいぶ助けられたのだけれど、その中でも髙橋麻也さんという方が書いた文章に強く共感した。

人生に迷った時、なんとなく鬱屈とした時、私はただ漠然と本棚を眺める。本棚は、歩んできた人生そのものだと思う。この雑誌はあの旅行の飛行機に乗る前に空港で買ったとか、この小説はしんどかった時に読んで元気をもらったとか。振り返ると「意外と頑張ってきたじゃん」と少し元気になる。

『鬱の本』p86.「願い」髙橋麻也

なんとなくこの文章に励ましてもらった気になって、この文章を書いた人はどういう人なのだろう?と検索してみると、北鎌倉で「珈琲 綴」というカフェを営んでいる方だった。

このカフェについて調べてみると、小声でもお喋り禁止、3名以上はお断り、写真撮影は手元のみOK、というなかなか厳しめなルールのお店である。
そしてグーグルマップで場所を確認してみると、そのお店までの道が表示されていない・・・!?

いったいどんなお店なのだろう、と興味が湧いた。

北鎌倉は自宅から一本でいけるので、夏の間は変則的らしいお店の営業時間を確認し、電車に乗って向かった。地図に弱い自分は無事にたどり着けるだろうかと不安だったが、お店の口コミに行き方を丁寧に書いてくれてる人が複数いて助かった。それでも道中の道は心細くなるくらい狭くて頼りない石段で、本当に辿り着けるのだろうかと、坂の途中に出ているささやかな看板を見つけてもまだ不安が拭いきれず、やっと古民家の入り口を見つけて心から安堵した。

しかしこれからが本番。
お店の前にも例の注意書きが書かれた看板があり、一体どんな気難しい店主なのだろうかと緊張が走る。さらに注意書きの一番下に「香水等強い香りを纏った方は来店をお控えください」とのこと。しまった、寝癖を治すためにつけてきたヘアオイルは大丈夫だろうか?と確認してみるが自分ではわからない。少し申し訳ない気持ちで緊張しながら古民家の引き戸を引く。すぐに上がり框があり、そこで靴を脱ぐようになっている。靴を棚にしまい、廊下を進み、カフェスペースであろう中をのぞくと店主と目が合った。
「何名様ですか」
「一人です」
「奥の席、どうぞ」
終始囁き声で会話をした。店主は想像していたよりずっと良い人そうなオーラを纏っており安心した。店内は図書館のように静かで、ほかのお客さんに邪魔にならないようにそろりそろりと壁際の席に座った。

平日の朝9時。誰もいなかったらどうしようと思ったが、すでに4人ほど先客がいた。ブレンドとガトーショコラを頼み、持ってきた文庫本を開いた。
そう、今日は「赤毛のアン」の世界に没頭するためにきた。

時間をかけて丁寧に淹れられた珈琲はとてもおいしくて、重厚なガトーショコラとよく合った。
窓側の席とは違って壁側はすこし薄暗く、テーブルに置かれたスタンドライトの明かりで読む本は、まるで隠れ家でひっそりと読書をしているような雰囲気を醸し出してくれる。
静かな店内で珈琲と読書にしばらく没頭した。
饒舌なアンのお喋りと、プリンスエドワード島に咲き乱れる花の描写。赤土の海岸や、赤い灯台、広大な大地。それらの光景が文章を読みながらありありと脳裏に思い出され、物語の世界にどっぷりと浸ることができて最高の読書体験となった。

ああ、私、こういう時間を心底求めていたんだなあと感じた。


お会計の時に思い切って店主に伝えた。
「鬱の本、読みました。珈琲、美味しかったです」
そう言って自然と笑みがこぼれた。
店主は少し驚いた様子で、その後眼鏡の奥にくしゃっとした笑顔を見せた。

私は、初めて行ったお店の人にこんなことを伝えるような人間ではなかった。

初対面の人に感じよく笑いかけるような人間ではなかった。

できるじゃないか、私。


「赤毛のアン」はアンが逞しく美しく成長していく話ではあるが、実はアンを引き取って育てるマリラとマシュウの成長物語でもあるのだった。私は母となってまたこの物語を読み、それを知った。

いくつになっても人は成長できるし、人生は新しく始めることができる。

店を出ると、五感が冴え渡っているのを感じた。
生まれ変わったような気になって、来る時とは違った晴れ晴れとした気分で石段を降り、嬉しさを噛み締めた。



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