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神様とのくらし

娘がまだ私のお腹にいた頃、一度だけまだ見ぬ我が子を抱っこする夢を見た。

夢の中で初めて目にする我が子は丸々としていて、ぼんやりと白く輝いていて、恐ろしいほど愛くるしかった。これが我が子か!と思って抱き上げてみると、お腹の中がじわじわとあたたかくなるのを感じて、これが母性か!と思っていた。
でも、夢の中で私は冷静にこうも思っていた。

私の子供がこんなにかわいいはずはない。と。

未知なる出産と、その後に控えるワンオペ育児に怯えていた頃だった。
二度の流産と不妊治療を乗り越えての妊娠で、高齢出産でもあった。
決して産んだ後のことには幻想を抱くまい、と必死で思っていたのだった。

不思議なことに、実はあの夢は正夢であったのだけれど。

二年前、赤ちゃんだった娘は二歳になり、たどたどしくも会話ができるようになり、控えめに言っても「最高にかわいい」を毎日更新し続けている。
それでもやっぱりあの、ふわふわした赤ちゃん時代を思い出すと、なんとも言えないあの神々しさを懐かしく思ってしまう。

産んで割とすぐに、生涯で子供は一人だけ、と決めていた。
赤子を生かすことだけに注力する日々の中、様々な瞬間に私は赤子を注意深く、隅々まで観察した。
よく飲んでよく太り、ころころとよく笑う子だった。
こんなきれいな赤ん坊を私が産んだのだろうかと時々不思議に思った。

ある日、開けていた窓から風が入ってきてゆっくりと膨らんだカーテンを感嘆たる表情で見上げ、その後ゆっくりと手足をパタパタ動かしてた赤子の一部始終を、我が人生で最も美しい瞬間だと確信しながら見つめていた私は、この生き物は本当に人間なのだろうか、という考えにいきついた。

人間というより、動物というより、もっと他の、神様に近い存在のような。

神様って本当はこんな感じなんじゃないだろうか。


妊娠8週目で、病院の先生から胎児の心臓が動いていないと告げられた時、私は神様を捨てた。誰も私のことを救うことはない、と強く感じていた。


腕の中で私のことをじっと見つめる赤ん坊を見ながら、私は、そうか、とひとり呟いていた。

そうして毎日、神様とともに暮らした。


いつのまにか、子のことを神様だとは思わなくなったけれど、たびたび写真を見返してはあの不思議で尊い日々のことを懐かしく思う。
そして、ようやく最近になって、あの夢に出てきた赤ん坊はあの時の娘にそっくりではないか、と気づき、驚いた。

今ではすっかりおしゃべりになった子は、私が手でくるくると紙を丸めただけで、
「さすがオカアチャン」
と言ってほめてくれる。

私はずっと自分のことを何もない人間だと思って生きてきたが、我が子と出会ってからはそういう気持ちはだんだんと小さくなっていった。

そして、時々背筋を伸ばしてこんなことを思う。

こんな可愛い子供を産んだ私に価値がないわけがない。

と。

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もちこ
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