今日の1冊 『漂泊のアーレント、戦場のヨナス』
『漂泊のアーレント 戦場のヨナス』
戸谷洋志、百木漠
慶應義塾大学出版会
学生時代親友であった2人の哲学者の人生とその思想、そして2人の間の友情を記した1冊です。
ナチス政権下のドイツを脱出し、
アメリカで再会し、欧米の哲学史、世界の戦争認識に大きな影響を与えた、
ハンナ・アーレントとハンス・ヨナス。
ナチスの幹部、ヒトラーの側近を戦後に裁いた「アイヒマン裁判」における
「凡庸悪」の分析や、
『全体主義の起源』に代表される、
ナチスが起こした惨劇や全体主義の分析、研究で有名なハンナ・アーレント。
彼女の生涯は映画化(2012)されているので、
ご存知の方もいると思います。
いっぽうのハンス・ヨナスは、祖国ドイツや欧米では著書の『責任という原理』がベストセラーとなるほどの著名な哲学者でありながら、
日本での知名度には欠けます。
僕も知りませんでした。
ハンス・ヨナスは、ドイツ出身のユダヤ系の哲学者で、
ナチス政権下では母親をアウシュヴィッツのガス室で奪われています。
戦後はイスラエル独立戦争に加わるなど積極的なシオニストとしても知られています。
その後はイスラエルのヘブライ大学で教鞭を執り、
カナダのカールトン大学に招かれます。
晩年はニューヨークの
「New School for Social Research」
(人文社会研究大学院)で過ごし、
そのままニューヨークで生涯を終えました。
彼の著作の特徴しては、近代科学技術、いわゆるテクノロジーが、人間、特に次世代に与える影響を論じたものが多いということが挙げられます。
このヨナスの『未来への責任』という考え方が非常に面白く、
現代のコロナ禍や気候変動などの環境問題にも該当することばかりです。
「責任」というものを、僕らはつい、お互いの合意に基づくもの、と思いがちですが、
こと「未来への責任」となると、
合意形成する相手が存在しない。
つまり、『自分がコロナにかかって感染させてしまう相手』や
『地球環境へのダメージを省みずに行動した結果を生きる未来の人たち』
には、どうやったって合意形成のもと責任を負うということができない。
だからこそ、みな『自分さえよければ』『今さえよければ』という思考に陥る。
ならば、責任=合意形成に基づくもの、という前提を変えれば良いのでは…?
という問い掛けを、ヨナスはヨナスが研究していた頃の未来、つまり僕らに、投げ掛けてくれたのではないか、
と僕は勝手に読み取りました。
ヨナスはこの『未来への責任』を負うべき理由を、とても単純な表現で説明します。
『生まれたばかりの子どもがそこにいると想像して、その子どもとの血の繋がりや社会的関係が何ら無くても、自分が手を差し伸べなければその赤子が生きていけないことが明らかなら、助けない人はいないはずだ。それくらい生まれたばかりの子どもは愛しく大切な存在であるし、それは全人類全会一致の考えであるからだ』
つまりは、『赤ちゃんはみんな可愛いと思うでしょ?』
『その赤ちゃんがよりよい未来を生きてほしいと誰もが思うでしょ?』
という話です。
え、そんな単純な話?と思いましたが(笑)
未来における
『感染させてしまうかもしれない相手』
『自分達が壊した地球に住む未来の人』
という、目に見えない対象に対する責任をリアルなものにし、全人類の行動を変えていくヒントが、
ヨナスの哲学には秘められているのではないか、僕はそう思いました。
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