
相手の理不尽な行為が理解できないときは
なんであんなことするんだろうね。
理解できないよ。
凄惨な事件だけでなく、
日々職場で受ける理不尽な扱いまで。
他者の理解できない行為に対してそうこぼしてしまう人は少なくないでしょう。
まあ、他者は他者なので、100%理解できることはありえないのですが。
それでもつい「信じられな〜い」と呟いてしまうことはあるでしょう。
そんないくつもの「理解不能行動」ですが、
それを解く鍵の1つとして、
「相手の損得勘定を見抜く」というものがあると思います。
相手の気持ちになって。
相手の立場に立って考えてみよう。
これらはよく聞く言葉ですが、これは無理です。
相手の気持ちを「想像する」ことはできても、どうしたって相手と同じ気持ちにはなれないし、
相手の立場を「想像する」ことはできても、
相手と全く同じ立場に立つことは不可能です。
だからこそ考えるのです。
相手がその行動によってどう得をするのか。
相手がその行動を取ることによって得る利益は何なのか。
僕はこうした損得勘定で動くことが嫌いですし、資本主義に則った行動原理は正直好ましくありません。
しかし、相手のことを少しでも理解したいと思うならば、
「私にとって不快な相手の行動が、相手にとってどう利益になっているのか」
を考えることは必要だと思います。
先に断っておきますが、「理解」と「共感」は違います。
「ああ〜、そういう意味であなたが得をするから私にとって不快なことをしてくるのね」と理解するためであって、
「ああ〜、わかるわあ、その理由だったらついしちょうよね〜」と共感するためではありません。
理不尽を理解するけれどもけっして許しはしないということです。
しかし、相手の損得を理解しないままに憤慨してもけっして問題は解決しないでしょう。
だから考えるのです。
さあ、では簡単なものからいってみましょう。
こちらが不快、あちらがお得の例です。
小学生のAくんは好意を持っているBさんの気を引くために、Bさんの物を隠してしまいました。
これはあるあるですね。
小学生男子の「好きな子いじめちゃう現象」。
これは本当のいじめと仲良くなりたいだけという判断は大人にはつかないので、
いじめを見逃す大人に免罪符のように使われることもありますのであまり例として使いたくはありませんが。
他にも例を挙げてみましょう。
自分に明らかなパワハラをしてくる上司。
これは現代では訴えられることですが、
もちろんその行動の理由とメカニズムはあります。
その上司は家では奥さんに権力を握られていて、権力を誇示する機会が職場にしかない。
優越感を常に感じていないと生きていくことができない。
だから職場の誰かに権力を誇示する必要がある。そうしないと精神の健康を保っていられないから。
もちろん許されることではありませんし、同情の余地も無いのですが、問題を解決するには必要な情報になり得るでしょう。
もしかしたら奥さんに隠れてお子さんにも同様に権力を誇示する何らかの行為をしているかもしれません。
もちろんひどいパワハラなら原因究明の前に法的手段に訴えてもいいかもしれませんが。
他にも、非行や犯罪なんかにも当てはめることができるでしょう。
目に見えて明らかな逸脱行為、迷惑行為、そして時には犯罪行為に及んでしまう子どもがいるとします。
或いは理解に苦しい凄惨な事件を起こしてしまう犯罪者がいたとしましょう。
これらの相手を不快にするどころか多大なる迷惑をかけてしまう行為者にとっても、
必ず得があります。
それは目先の得であって、長い目で見れば大損なのかもしれませんが、それが理解出来ない人もいるし、
理解できても切実に目前の得を取るしかない人もいるでしょう。
それは金銭などの目に見える益かもしれませんし、精神的な安らぎや酩酊かもしれません。
他者と異なる性的嗜好を持つ人かもしれません。
とにかく、異常者と思われるような人は、全てが異常というよりも、「得」に感じるメーターや物差しが大多数の人と違っているからこそ、社会のルールを逸脱してしまう結果になるのでしょう。
人が嫌がることはするな。
自分がされて嫌なことはするな。
これも僕の嫌いな言葉ですが、なぜ嫌いかと言うと
必ずしも「自分がされて嫌なこと=他者も嫌」
というわけではないということを見落としているからです。
逆もまた然りですね。
「自分がされて嬉しいこと=他者も嬉しい」ではありません。
この2つが完全に一致しているならば、極端な話、戦争なんて起こらないはずです。
それでも争いごとが起こるのは、他者には理解できない人それぞれの「快」「不快」があって、
そこに「損得」があるからだと思います。
言うなれば理解できないものの存在を理解すること。
それがとても大切なことで、それはきっと完全な他者ではない家族や恋人でも同じだと思います。
愛する子どもが不登校や引きこもりになった。
親から見ればそれは損かもしれません。
しかし、子どもにとっては学校という「大損」から避難するための「得」なのかもしれません。
何かから避難するために、或いは何かを得るために。
恋人だってそうでしょう。
相手の理解できない行動やポリシーを、肯定するわけではなくその存在を理解すること。
これがきっと関係の維持や発展には大事になってくると僕は思います。
「価値観が合わないから別れた」
よく聞く言葉ですが、そんなのちゃんちゃらおかしい理由だと思います。
人間同士なのだから価値観が合わないなんて当たり前。
価値観合わない、そこからが人間関係の楽しいところなのに。
一度研究対象や実験対象のように理解できない人間を観察してみてはいかがでしょうか。
あっさり別れてしまう前に、価値観が合わない人間と上手くやっていく方法をお互いで模索していくことをオススメします。
むしろ付き合い始めた理由や長続きの秘訣として「価値観が合うから」を口にする人のほうが僕は疑わしいと思っています。
価値観なんて100%合うわけないと思いますし、より長く濃密な時間を過ごす恋人同士だからこそ、98%価値観がマッチしていても、その少しの誤差が気になってしまい、火種になるのでしょう。
価値観が合わないということをお互い認め合って、それでも諦めずに少しでも理解し合おうと努めることができる。
これが恋人関係に限らず対人関係の基礎なのではないかと思います。
損得勘定から価値観の話にまで飛んでしまいましたが、あえて制御せず自分の考えを遊ばせました。
話があちこちに飛ぶのはいつものことですが、まとまった綺麗な読みやすい文章を読みたい方は別のどなたかのnoteをご覧ください。
小野トロ
相手がそれを行う得を見極めろ